ミラノ大司教区叙階式 2026 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで33年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

 

ミラノ大司教区の司祭叙階式に参列してきた。

 

教区からは12名(ちなみにローマは10名)、そしてPIMEことミラノ外国宣教会からは1名が叙階された。


PIMEからは、7名が叙階するが、そのうち6名が母国で叙階。ザンビア出身のMtonga助祭は、ミラノで叙階しその後、ローマとナポリの間あたりにあるガエタに派遣されることになっている。

 

PIMEの神学校はここ数年、そしてこの先数年ずっと外国人の神学生ばかりなのだが、彼らを霊的にも、物質的にも支援している代父母の会のメンバーで、先月帰天されたMさんに代わって、この叙階式を見届けたいと思っていた。

 

ミサは9時から。叙階される助祭たちは、ミラノ教区とはいえ、ミラノ市内は、二人のみであった。PIMEともう一方。それでもかなり街の中心地から離れたところであったので、参列者はかなり朝早く家を出てきていることであった。

 

8年前我がパロッキアから司祭が誕生した際、聖歌隊として参列したが、7時半の会場と共にドウモ入りした記憶がある。一般信者は8時から。


地下鉄では一目で司祭とわかるグループがあちこちいて、PIMEの司祭とも遭遇。

 

当日、知り合いの方は8時に3番目に入ったということで、中央の最前列に座れたそうだが、8時半に行った我々はほぼほぼ席はなし。柱で区切られている身廊の外側の歩行用スペースに、中に入れない様、長椅子が縦に置かれていたが、そこに無理やり座る形で、祭壇はもちろん見えないので、スクリーンでみる状態であったが、かろうじて、祭壇上右端に座っておられた大司教様の横顔だけ見えた。

 

スクリーンから、ドウモの脇にある司祭館から出てくる助祭たちの行列が見え始めた。ドウモ脇に着くやいなや入祭の聖歌が始まった。振り香炉から立ち上る煙は、霧のようで、ドウモ内は更に荘厳さが増した。この煙には「信者の祈りが天に昇るように」という意味が込められている。

 

 

 

Mtonga助祭。


 

数年前まで、叙階する司祭たちは、高校や大学を卒業してから、社会経験を経てから神学校へ入るものが多く、30歳台、40歳台の新司祭も多かったが、今回は25-27歳とあまりにも若い方々多く驚いた。

 

デルピー二大司教によるお説教で、「自由について、生き方について、不完全であることについて語り、証しをする。 自由とはイエスに従うことを選び、決断するという召命である。 生き方については、人生の質は、柔和で 心の謙虚なイエスを模倣することの中にその美しさを見出す。不完全であることについては、自尊心は、 自分には非がないという幻想からではなく、まだ歩み続けていること、常に歩み続けていること、 イエスとの交わりの中にいることへの喜びから養われる。なぜなら、キリストこそがすべてだからです。」と仰られた。

 

 

2時間半にわたるミサ後、新司祭たちは、司祭館までつながっている地下道から移動。新たに司祭館から一人ずつ出て来られ、ミラノの伝統でもある胴上げがされていた。近くには救急車が待機していた。笑

 

 

 

お説教の最後に大司教はステンドグラスに言及されていたようで、帰りがけに会ったPIMEの司祭に「どう思いましたか?あなたは何色ですか?」と聞かれ、ぼーっとしすぎてて聞きそびれた!と思った。なので、帰宅してから検索。こうおっしゃっておられた。

 

光に満ちた大聖堂のステンドグラスのように色彩豊かな教会、聖人たちと神に祝福された数多くの召命に満ちた若々しい教会、そして私たち一人ひとりが神の光の一筋を通り抜けさせることができる、古くて新しい教会」。私は何色だろうか?

 

新しい働き手を送ってくださった主に感謝をささげると同時に、新司祭のうえに、聖霊の導きと、主の祝福が豊かにありますように。