カトリックにとって、『「死」は終わりではなく、永遠の命の始まりである』という死生観が存在する。
一方、仏教では、「生」と「死」は切り離された出来事ではなく、『「生死一如(しょうじいちにょ)」つまり、連なっているというか、本質的には一つのものであると捉えるようだ。
ならば、カトリックも仏教もつまるところ「生」と「死」は共通しているではないか!と思いつつ、死後の世界観は明確に異なる。
仏教は「輪廻転生」や「浄土」を説き、カトリックは「死後は神に裁かれ、天国・地獄・煉獄へ行く」と定めており、死生観は全く同じではない。
死生観は文化や宗教によって大きな違いがあるわけだが、自分なりの死生観を持ち、それを明確にすることは日常生活も変わってくる気がする。
...と前置きが長くなってしまったが、最近また、友人が1人逝ってしまった。先月2人。実際は後だと思っていた彼女は先に亡くなられていたようなのだが、何かと心を引きずっている。
年齢に限らず、人は最期を迎える時、いかに生きてきたか、何を大切に生きて来たか、第三者の「死」を通して、自分自身の生き方を考えさせられる。
そして、良くも悪くもこだわったり、すがるような財産や名誉もないが、自分にとっての執着とは何なのだろうか、と考える。
「死に方」は「生き方」だと良く聞く。
とはいえ、医学的・身体的な「死の結末」は生き方だけで決まるものでは決してないであろう。ましてや戦争や事故などもそうだ。けれど、「死に方」は選べないが、死ぬまでの「生き方」は決められる。
友人らの死を通じ、無理はしないが、今日できることは明日に伸ばさない。会いたい人には、早めに会っておこう。早めに伝えたいことを伝えておこう、と思ったものだ。
人の死を考え、自分の番もいずれやって来ると思う。逆に「今をどう生きるか」鮮明にしてくれる。
「死」を人生のプロセスの一部として受け入れることで、日々のささやかな日常や人間関係に心から感謝が出来るようになるのだろうな。
…と、友人たちが教えてくれた。