先週、お世話になった在ミラノの母のような存在だった方の葬儀があり、その後もその方を知る方々からの追悼メッセージをまとめていたが、知れば知るほど彼女が偉大な方だとわかった。
目立つことを嫌がられる方ではあったが、意外に知られていなかった隠れた一面から、故人の優しさや強さ、人間的な魅力が感じられた。長年色々な話を聞いてきていたが、それが点と点でつながっていくようであった。
「母にこんなに友達が多いとは知らなかった」と驚いていた息子さんに知って欲しいが、これを全てイタリア語にして伝えるには時間がかかるな…。と思う。
単に悲しむだけでなく、故人の人生を振り返る時、彼女が常に気にかけ、敬意や感謝の気持ちを伝えたかっただろう方々に代わって会ってきた。
まずは、長年在ミラノカトリック日本人会があった修道院。今や私たちを導いてくださっていたシスター方も昨年次々に帰天されてしまった。様々な思いがあったようだ。
なんと朝の7時に追悼ミサが行われるため、6時過ぎに家を出た。
早朝で渋滞もない街中、これでは早く着き過ぎてしまう。ドウモで途中下車。6時半。
早朝からオフィスやお店に向かう人たちのまばらな群れと清掃のAMSAの車だけが広場を横切っていた。観光客は流石にいない。
マリアバンビーナのお御堂は美しい。もう一つの聖堂によく集まり、こちらは日本人会のクリスマスや復活祭のミサに使わせて頂いていた。
私自身も洗礼前からお世話になっていた修道院で毎月のミサには子供たちを連れて、様々な思い出があるが、日本人会設立から50数年。数えきれない日本人家庭の方々がお世話になっていたのだなあと感慨深かった。
その後、共同体の食堂で朝食をとるシスターたちと共にお茶を頂いた。(私自身は修道院へ向かうトラムの中でおにぎりを頬張ったのであった)
その後、思い切ってレッコのミラノ外国宣教会の施設へ向かった。長年日本へ宣教されていた司祭方を訪問しているが、夏休み前、行ける時に行っておきたいと思っていたし、故人のMさんとも何度もご一緒した場所。
生憎Mさんが慕っていた司祭2人にはお会いできなかった。昨年帰天された司祭の葬儀に伺った時、そのお二人を見かけたが、車椅子に座り小さくなっておられた。ただただ言葉をかけ、手を握るだけで胸がいっぱいであった。
日本から戻り4年経つ司祭に会ってきたが、今や自分のためだけに訪問してもらうのは申し訳ない、と言われてしまった。とはいえ、普段から日本語はもちろん、母国語イタリア語さえ話すことは少ないと言う。(話相手が減ってきたためと声を出すことさえままならぬため全体でのロザリオさえなくなってしまったという。)
自分の車椅子を、杖をつきながら押してくださっていた司祭が最近転倒し骨折。自分も何度も転んでいるのに大事に至っていない。なぜ自分ではないのか?まだ守護聖人が守ってくれているのか?と冗談を言われた。
そして、写真を撮ることを毎回嫌がられるが、日本の信者さん方が様子を楽しみに待っておられるから撮りますよ!と言うと、「葬儀の遺影には使わないでください。遺影は若い時のを使って。」と再び冗談を言われた。
今回は午前中に訪問出来たので、昼食の時間ということで失礼した。
移動中ずっと同行していた友人と故人との思い出、互いの記憶にある「点」をパズルのように合わせてみた。
それにしても、ここ数年、多くの友人、知人、親類が天に帰られている。
先に旅立った人を思う時、私は何をしなくてはならないのだろう?何が出来るのだろう?といつも思う。旅立った方々の蒔いた種を思いながら、私はどんな種を蒔けるのだろう?蒔いているのだろう...。
この日は、前日展示会会場を回った時の倍近い歩数(約18000歩弱)を歩いていた。
いや〜、ポンテの間、歩きすぎた。





