この週末は空手の大会とチャリティイベントが重なってしまい、そうでなくてもミラノの市内ではPiano Cityのイベントが開催されており、本当は観たい、聴きたい人がたくさんいたが、もう体一つじゃ足りない!笑
私が参加した、これから叙階する助祭にストラを渡す秘蹟のミサは、初めての経験であったが、ここ数年、そしてこの先数年もPIMEこと、ミラノ外国宣教会では、神学生は、アフリカやアジアをはじめとする外国人ばかりで、見事にイタリア人はいない。
逆にミラノ教区では、もちろんほとんどがイタリア人ではあるものの、一度は社会人を経験した人や司祭を目指し、神学校に入る年齢が徐々に高くなっている。
海外で神学校に入るためには、まずイタリア語が出来なくては行けないが、流石に司祭は言語のマジシャン。それくらいは皆軽くクリアしている人たちばかり。しかし、信仰があり、同郷者もいるだろうが、自分らを支えてくれる支援者や仲間がいることで、決して1人ではない、と感謝の言葉を述べられていた。日本人の信者の方も彼らを支える会の会員として、ストラを渡しておられた。素晴らしいこと。
午後のイベントは折り紙と書道教室開催。あらかじめ「平和」「光」「希望」「愛」と言うお手本を準備。書き順を記し、はじめは日本人のアシスタントが共に筆を持ち、力の入れ方、抜き方、止め、払いなどを感じてもらった。
あくまでも体験教室。字をうまく書くことが、目的ではないが、イタリア人は敢えて難しい字に挑戦する人が多かったようだ。
折り紙とて同様。いくつかのモデルの作り方を準備して、折りたいもの選んでもらった。
毎回人気があるのは、百合(あやめ)。初心者には難しすぎるのでは?と言う声もあったが、毎年やってきて、時間がかかっても皆折り上げられるし、複雑な作業の繰り返しであっても、手取り足取り...(足は使わないけど) 花びらの部分を開いて、始めて花の完成!と気づく時の彼らの目の輝きは、達成感と嬉しさが伝わって来る。
対象者の年齢にもよるだろうが、皆実際の難しさよりも、見栄えの良さに挑戦したがるイタリア人が多い。余裕があれば、同じものをもう一度繰り返させたり、家でも作って誰かにプレゼントしてあげてね、と言って数枚折り紙をプレゼントする。
始めは参加費を設定し、寄付金を期待したが(そのままギニア・ビサウの子供達の教育支援に寄付)、思ったほど集まりはしなかったが、参加者の満足感は感じられた。それだけでも良い収穫であった。
ところで、前日空手の稽古では、初段から3段までの7名の昇段審査があった。
全ての人の26型を見届けたが、面白いもので、型はその人の性格を表すと思った。そして、上手い下手とかではなく、「体の癖」がもろ出ると言うこと。それをいかにしてニュートラルに持っていくか?そうしないと、技の威力や姿勢の崩れに直結してしまう。例えば、私は脊柱管側弯症なので、微妙な体の傾きがある。それを違和感を感じるくらい逆の方向に傾けたくらいの感覚が正常な姿勢になる。それを日常化させる。股関節を始め、手首や指も気づかないと徐々に硬くなっていくのだと最近自覚。日々の生活だけで、何もしなくては可動域が狭まっていくのだろうと思う。
話は基、審査対象の型の中に多くの良い点と改善点を見た。彼らだけの話にとどまらず、それは自分も含め他の門下生にも言えることだが、無理に悪い点を修正させず、良いところを引き出していく、一つだけでもそれを武器に出来れば良いのではないだろうか?と教士は仰っていた。
なるほどなあ、と思う。もちろん個人の意識にもよる。修練と経験をもって、自分に教えられたことが初めて自分の中で理解できた時、新たに門下生たちに伝えられると言うもの。
これからは型の分解も黒帯間でしていくレベルにならないといけない、とおっしゃっていたが、反複練習してこそ、蹴り、突き、受けなどの技を駆使して型の分解と、組手の練習を重ねれば更なる術が磨かれるというものだろう。その気づきと努力は自分次第というもの。奢って仕舞えばその時点でおしまい。人はついてこなくなる。すべてにおいて言えること。
忙しい中、それなりに考え、得るものが多い週末であった。



