ローマから戻り、早いもので10日が過ぎた。
覚えているうちに書いておかないと…と思っていたが、あまりに多くの事を見聞きし、恵みも多かった分、自分の中で消化しきれず、また日々の忙しさの中で心が追いつかなかった。今や備忘録...。苦笑
ローマ到着、夕方の菊地枢機卿名義教会着座式の前にカステル・ガンドルフォを巡礼団と共に訪問してきた。(菊池枢機卿様は儀式直前ということで、もちろん不参加)
カステル・ガンドルフォはローマより南東25キロにあるローマ教皇の夏の離宮として知られており、歴史的に重要な役割を果たしてきた。
古代ローマの時代から、貴族や皇族の避暑地としてきたが、17世紀に教皇庁領となり、教皇の避暑地として利用されるようになった。
前教皇フランシスコが、避暑に出かけなくなり、教皇庁の宮殿は博物館となってしまった。
けれど、そのお陰で今回元宮殿の内部を見学できたわけなのだが、私の知識はそれくらいであった。
現教皇のレオ14世になられてから、夏休みはもちろん、何度も教皇はカステル・ガンドルフォを訪問されている。
実は、彼は(当時はロバート・フランシス・プレヴォスト枢機卿)、カステル・ガンドルフォをはじめ、ネミ、アリッチャなどカステッリ・ロマーニ地方西部と、アンツィオ、ネットゥーノなどローマ南西部海岸地帯から構成されるアルバーノ・ラツィアーレに司教座を置くアルバーノ教区に枢機卿司教として今年2月に託され、その着座式が5月12日に予定されていたが、なんとその4日前に、教皇フランシスコ逝去後のコンクラーヴェで新教皇に選出されてしまったのであった。そして、アルバーノでの着座式は幻となった。
そういう背景もあり、カステル・ガンドルフォを含め、アルバーノ地域では、現教皇が離宮に戻られてきたことを尚更歓迎しているように感じた。
余談だが、その地位の現教皇の後任として、福音宣教省の第一福音宣教・新教会部門担当副長官であるルイス・アントニオ・ゴキム・タグレ枢機卿に、アルバノ郊外教会の称号が授与され、先日11日にその着座式が行われた。(式典のビデオは下記添付)
元教皇宮殿の博物館
元教皇宮殿を背にして広場を見ると、左にヴィッラノーヴァの聖トマス教会と奥にカフェが並ぶメインストリートになるが、10分くらいで見て回れるほどの小さな街。
歴代の教皇の像がウインドウに。
メインストリートを歩いていると、建物がとぎれるたびに湖が顔を出し、その度に感動。
博物館内、中庭の植物の鉢には歴代の教皇の紋章が入っている。
ところで、1939~1958年に在位していたピウス12世は、ナチス・ドイツがユダヤ教徒を殺害していたことを知りながら対策を講じなかったとして、「ヒトラーの教皇」と呼ばれていた。
しかし、実はヴァチカンによれば、ピウス12世は、実際にはユダヤ教徒をヴァチカンに匿い、ヴァチカンの市民権を授けていたと言う。また、イタリアをはじめ、カトリックの修道院やカトリック系学校がユダヤ人を密かに匿っていたという。Pinchas Lapideというユダヤ人の外交官によれば、ピウス12世によって、70〜85万人ものユダヤ人が救われたという記録もある。
知らないことばかりであった。
そして以前はこの窓から挨拶をされていらしたと言う。
博物館内
歴代の教皇らが、この部屋で眠られ、
こちらで執務され、
この廊下を歩いておられたのだ…と想像するだけで、時がワープし、ワクワクしてしまう。笑
静かで穏やかな絵のような風景。この風景もパパ様はご覧になっておられていたのだろう。
その後、遅めのランチをワインで有名なフラスカーティのレストランで頂いた。
どこまでも次ぐ葡萄畑。
この土地は海からの風により病害も少なく、かつては火山の噴火口だったアルバーノ湖周辺のミネラルを多く含む火山性土壌や、温暖で乾燥した気候といったブドウ栽培に理想的な環境。一般的に、洋ナシやリンゴ、花のような爽やかでフルーティーな香りと、フレッシュで飲みやすい辛口の味わいが特徴。
中野・鹿児島司教様の祈りによって食事が始まった。
美味しい食事と、美味しいワインに恵まれ、これからさらに菊池枢機卿様の記念ミサにあずかると言うのに、もうゆったりまったりしすぎて、幸せ過ぎた。笑
今日の一句
歴史散策 妄想しすぎて タイムスリップ(爆)




















