あれから10年 〜 長女の旅立ち | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

10年前の今日、長女はボローニャ大学入学のため家を出て行った。

 

始めの頃は、月に数回帰宅していたが、徐々に帰宅する回数が減って来た。

 

卒業後、ミラノに戻り今度はミラノの大学院へは自宅から通っていたが、途中でコロナ禍となり、オンライン授業であったが、その間私は実家の問題で帰国し、またミラノへ戻る便がなくしばらく戻れず、戻ってきた時には、今の彼と暮らし始めていたではないか!

 

なんでも自分で決めて(それはそれでいいが)全く相談も報告もなく出て行った。私だってイタリア行きを決める前は親に言ったぞ!まあ結局は私の人生だから自分で決めろ、と言われたし、決めたからには自分で責任を取れと父に言われたが、常に見守られていた事だけは感じていた。

 

まあ、弟にいわせれば、長女の性格のきつさは私譲りなんだそうだが、私から言わせれば、比にならないくらい気は強いし、度胸もあるように思える。

 

現在は、研究してきた文化人類学関係の仕事をしながら、趣味やら生活を楽しんでいるのが良くわかる。彼も、とても人間的に素晴らしい人なので、安心して見守ることが出来る。

 

今週は、学会出席のため南イタリアに出かけているそうだ。週末家族で食事をすることになっている。私の叔母がなくなったことを告げ、叔母からもらった絵本や詩集があるけれど、どうする?と聞くと欲しいと言うので手渡すことにした。母にも定期的に連絡を入れてくれているようなので嬉しい限り。

 

端から見ればかなり自由奔放、放任的な育て方だったかもしれないが(?!)子供の可能性を信じて来て良かったと思う。さすがに3人いたら、べったりついてはいられなかったのが実情であったが…。

 

今思えば、子育ては、「迷い」の連続であった。かといって、「親失格」とか自分を「ダメ親」と思うこともなかった。笑 それが良かったのかもしれない。また彼女を始め、長男もそうであったが、親元を出ることでかなりしっかりしたなあ、ということ。

 

日々、子供に触れる生活であるが、自分を信じることによって、他人も信じ、何事にもチャレンジできる人に成長できるよう、日頃からたくさん、信頼を伝えることの重要さを身をもって感じた。

 

今日の一句

日々忍耐 子を育て 自分も育つ