聖母生誕祭 2025 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

今日9月8日月曜日「聖母生誕祭」より、ミラノ大司教区の司牧年が始まった。

 

そして毎年恒例のマリア・バンビーナ(幼きマリア会)のミサに参列。

 

司祭はマリアンブルーと呼ばれる淡い水色の司祭服を着ていた。初めて目にしたが、これは聖母マリアの純潔、慈愛、そして天の真実を意味している。

 

 
いつ来ても美しいお御堂。
祭壇には、菊の花が飾られていた。
 
ちなみに翌日9月9日は「重陽の節句」。
中国では、陰陽思想から、「9」という奇数が重なる最もめでたい日とされ、邪気を払い長寿を願う日。菊の花にちなんで「菊の節句」とも呼ばれる。

 

 

"ECCE PANIS ANGELORUM"

見よ、天使のパンを

 

 

"FACTUS CIBUS VIATORUM":

旅人である人間の糧となった

 

 

マリアバンビーナは不妊や婦人科の病気などでマリア様にお祈りをする人が多く、それが回復した人々が感謝の印としてハートの形のオブジェをお礼に奉納しており、所狭しと壁じゅうに飾られており圧倒されてしまう。

 

 

マリア・バンビーナ。幼きマリア。

 

 

この御像は、約280年ほど前にフランシスコ会のシスターによって作られたそうだが、当時イタリアはナポレオンの圧政等でそのご像がいろいろな人の手に渡り、1842年に修道会の総長のもとに送られてきたという。

 

それ以来、毎年9月8日に御像を聖堂に安置してお祈りを捧げていたそうだが、1884年9月8日のお祝いが終わった後、病気のシスターが病室に御像を移して欲しいと願いだした。翌日の9日、総長が御像を抱いて、病気で寝ているシスターたちの元を訪れると、手足の麻痺と激しい痛みのために身動きができないほど苦しんでいた一人の志願者のところに来た時、その志願者の硬直していた腕が自然に動いて、マリア・バンビーナの御像に触れていたという。やがて、彼女は全快。数ヶ月後には、もう一人のシスターの病気も完治し、この奇跡は人々に知れ渡り、マリア・バンビーナを信心する人が増えたそうだ。

 

その100年後の1984年に当時の教皇(現在は聖人)ヨハネ•パウロ2世がミラノの本部の御御堂をご訪問され、「小さなものになりなさい。幼き聖マリアのように謙遜にものになりなさい。」と仰られたという。

 

ところで、以前は毎月こちらで日本人ミサを行っていたが、コロナ後お世話になったシスター方がベルガモの施設へ移られ、今年に入りお二人とも追うように帰天されてしまった。

 

ミサ後に前総長と知り合いのミャンマー人のシスターにご挨拶。こちらでお会いするのも「聖母生誕祭」のみになってしまいましたね…と話した。寂しい限りだが、ミラノにいる限り、9月8日はこのお御堂に通い続けたい。

 

 

今日の一句

アヴェ・マリア 恵みに満ちた方 主はあなたと共におられます