ドウモ見学後はランチタイム!
ヴィットリオ・エマヌエーレのガレリアを抜けたところにあるスカラ座近くのビストロへ。ツアーのランチはある意味予算との関係で、しかも一般的日本人が食べられる量を考慮(しかもデザートを含む)されているが、限られた時間の中での提供なので、本来イタリアに来たら食べて行って欲しいもの(しかも地域性を重視)も...と言うと結構難しいものがある。
画像を撮り忘れたが、アンテイパストとしてローストビーフ、プリモにリゾット・ミラネーゼ、ドルチェ(デザート)にパンナコッタであった。リゾット・ミラネーゼはサフランを使い、黄色くなる。日本人にはちょうど良い量であった。ちなみにレストランを選んだのは夫の会社。飲み物は、各自オーダーし、支払う。
やはり地元のツアーオペレーターが食を選ぶというのは大切な事。また観光バスなどもコストを抑えるため地方や下手すると海外のバス会社を利用し、土地勘がない運転手だと大変なことになってしまう。特にミラノの中心地は進入制限も多い地域なので、近くにいてもなかなか辿りつけない事も多い。
話は基、少しだけ自由行動の時間が取られ、巡礼団の皆様方は各自お買い物またはドウモ近辺を散策しに出かけられた。
ちなみに大西神父様には近くのサン・フェデーレ教会をお勧めした。(が時間の問題で閉まっていたそう。残念)
私は、添乗員さんとガイドさんとでドウモ広場のマクドナルドへ。なんとインスタ映えするテーブルを発見!たまに見る画像はここだったのか!と今更驚き。
おじさんが邪魔。上半身を引いてくれたが、腕が残ってた!苦笑
その後、ミラノの守護聖人であるサンタンブロージョ(聖アンブロシウス)を祀るサンタンブロージョ教会へ。
4世紀半ば、ローマ帝国の高級官僚の息子として生まれた彼の本当の名前は、アウレリオ(姓)アンブロジオ。苗字まで知らなかった!
373年、皇帝からリグリアとエミリア州の長官に任命され、ミラノに赴任。当時のミラノの司教の死後、信者ではなかったにもか関わらず、その慈悲深さから民衆に推されて1週間の間に洗礼、そして司教に選出されると言う現在ではあり得ない立身出世(と言うのだろうか?)
ちなみに彼の祝日は12月7日。大抵は聖人の帰天した日となるが374年、アンブロージョはこの日に洗礼を受け、ミラノの司教に任命された。 余談だが、彼はシチリアの3分の2ほどの土地を持つ大金持ちであったという。司教になってからそれを全て売って、ミラノのために費やされたそうだ。
今回初めてサンタンブロージョ内のサン・ヴィットーレ・イン・チェ―ロ・ドーロ礼拝堂へ入った。いつも時間的に入れないことばかりであった。しかも、現在一部修復中でモザイクしか見られなかったが、モザイクだけでも大満足!
左から、サン・ジェルヴァ―ゾ、サンタンブロージョ、サンプロターゾ。(聖ジェルバシウス、聖アンブロジウスと聖プロタシウス 。ラテン語読みの日本語名はなかなか覚えられない!
サン・ジェルヴァ―ゾとサン・プロターゾのご遺体は、祭壇下に、サンタンブロージョのご遺体をはさむように安置されているが、もともと彼らは、ミラノの初期キリスト教時代に殉教した兄弟で、サンタンブロージョがこの二人の遺骨を「聖ジェルバシウスとプロタシウス教会」として埋葬した。その後、サンタンブロージョが397年に帰天。彼らと共に安置されることになった。
その後、「最後の晩餐」鑑賞まで多少時間があったので、サンタ・マリア・デッレ・グラッツィア教会から目と鼻の先にある、2日後にヴァチカンのサン・ピエトロにて聖人に列聖されるカルロ・アクーティスのゆかりの教会である、サンタ・マリア・セグレ―タ教会を訪問した。本来であれば、夕方のミサの時間であったが、9月の第一週はまだ夏休み時間続行、夕方のミサがないところも多く、運よく誰もいない教会にわずかな時間ではあったが、皆さん祈りを捧げることが出来た。
カルロは、この教会裏にある学校に中学まで通っており、初聖体・堅信はこちらの教会で授かり、要理のためのカテキスタもやっていたと言う。その後、イエズス会の高校へ移り、2年後に白血病により帰天してしまうのであった。
巡礼団とは「最後の晩餐」鑑賞後、お別れ。
移動距離自体は大したことはなかったはずだが、知らず知らずのうちに17000歩も歩いていた!
恵みの多い一日であった。見聞きしたことが少しでもお裾分け出来たら幸せ。
大西神父様、モンシニョーレ・ロッカ、そして巡礼団の皆様方に感謝!
今日の一句
あふれ出す この喜びを 皆さんへ!





