今日8月28日は、聖アウグスティヌス司教教会博士の祝日であった。
ちなみに前日は母・聖モニカの祝日。
息子アウグステイヌスの乱れた生活に心を痛め、祈り続けた母。息子の回心と偉大な働きは、モニカの「涙の賜物」と呼ばれている。
母モニカ没後、アウグスティヌスは、仲間と共に祈りと研究の修道生活を始めた。391年司祭叙階、396年司教叙階。
説教や著作活動でキリスト教の教えを説いた。特に、自身の魂の遍歴を記した『告白録』、『神の国』『三位一体論』はよく知られている。
ところで、5月にパヴィア在住の友人のお子さんの初聖体のお祝いでパヴィアを初めて訪問。そして、パヴィアにあるサン・ピエトロ・イン・チェ―ロ・ドーロ教会に、アウグスティヌスの墓があると言うことを知った。
彼はすっかり亡くなるまで北アフリカにいて、お墓もアフリカにあるものだと思っていた。
しかし、当時の王が、北アフリカの司教たちをサルデーニャへ追放し、その後、725年頃聖遺物をパヴィアへ運び、ロンゴバルド王によってサン・ピエトロ・イン・チェッロ・ドーロ修道院に寄贈されたらしいのだ。今年がパヴィアに来てちょうど(おおよそ?)1300年。
そして聖遺物は、年に2回、4月24日の聖アウグスティヌスの「(回心)洗礼」の祝日と、8月28日の彼の命日に、水晶と金メッキの青銅製の骨壷が取り出され、聖アウグスティヌスの聖遺骨の前で信者たちが祈りと瞑想ができるように展示される。
前置きが長くなったが、5月にこの話を聞き、8月28日はパヴィアに是非行ってみたいと思っていた。ミラノの信者仲間に声をかけたが、一緒に行ける人がおらず一人で出かけてきた。
朝9時に、パヴィア司教によるミサ、そして11時にアウグスチノ会修道会ミサ、そして18時に今年のコンクラーヴェでは、パパービレと言われていたピッツァバッラ枢機卿のミサが予定されていた。悩むことなく11時のミサに決定。苦笑
パヴィアの駅から徒歩15分ほどの教会。天気予報では一日雨と言うことであったが、とりあえず到着までは、雨に遭わなかったが、とにかく寒かった。
ミサが始まる直前まで、祭壇には聖遺物を見て回る巡礼者が多く、何度も司祭にShhh!と注意されていた。笑
アウグスティヌスと母モニカ。
聖アウグスチノ会女子修道会の会員であった聖リタに捧げられた祭壇。
聖アゴスティヌスの石棺(こちらは裏側)今年の5月8日、教皇に就任されたレオーネ14世はこちらのアウグスチノ会の会員であると言う事が書かれていた。
表側
専門家によると、頭蓋骨21片を含む、体のあらゆる部分からなる225個のさまざまな大きさの骨の断片が納められていると言う。
祭壇脇の聖アウグスティヌス像。
Domine cor nost fecisti nos ad Te, et inquietum est cor nostrum, donec requiescat in Te. あなたは私たちをご自身のためにお造りになりました。(聖アゴスティヌス著「告白」より引用されている。)
祭壇左側の小聖堂
サグレステイア(聖具室)
ミサ後、鐘の音に導かれて見に行った教会中庭。修道会にも続いている。外からは見えない風景なので、ラッキーだった!
ミサ後、始めは来られないといっていたパヴィア在住の友人が仕事の合間に来てくれて、ランチを共にした。その後、少なくともドウモを見てみたいと思っていたが、急に大雨となり、傘をさしていても洋服が濡れ始め歩くのも困難になって来たので、あきらめて、ミラノへ戻ることにした。
今年はニケア•コンスタンティノープル信条が採択されて1700年の記念の年。前身であるニケア信条にはなかった三位一体の概念が入ったのがニケア•コンスタンチノープル信条。聖アゴステイヌスの影響は大きい。
または、アウグステイヌスは「歌う人は倍祈る」と言った。
歌う行為は祈りそのものであり、歌うことで心が神に近づき、喜びや感情を高めることができるという考え方だ。なんと素晴らしいことか。
これは、自分のためだけでなく、他者に喜びをもたらす者となることができる。
「他者のために」。
あたかも自分ファーストの世の中。もちろん、自分の感情や価値観を大切にし、自分の心と体を優先することは大事だし、自分を愛せなければ、他人さえも愛することは出来ない。しかし、損得勘定抜きで、見返りを求めず、心から喜んで人のために自分を捧げると言うのは、なかなか出来ることではない。義務感からそれをすれば、結局は苦しくて続かなくなる。また、下手すれば、それは偽善であったり、虚栄心を満たすことであったりもするから錯覚に陥りやすい。
イエスのように生きるとはどういうことか。
アウグスティヌスの苦悩は他人事ではない。彼の罪悪感や葛藤、そして人間が抱える普遍的な苦しみを、自己と重ね合わせ、共感しつつ、この苦しみが過去の出来事ではなく、現代社会にも通じる普遍的な問であり、教えなのだろう...。そう考えながら帰路についた。
今日の一句
解けぬ謎 理性を超えて 信仰へ