世界遺産 〜 クレスピ・ダッダ | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

スペインから夫の同業者が来ており、彼のリクエストでミラノから東北東位約45キロにあるクレスピ・ダッダに出かけてきた。1995年に世界遺産に認定された労働者のユートピアだ。

 

 

 

アッダ川は、イタリア北部のロンバルディア州を流れる、ポー川水系の川。アルプス山脈に源を発し、コモ湖を経て、クレモナの西でポー川に合流する。全長は313km。 

 

ユートピアを作ったクリストフォロ・クレスピの苗字を取ってクレスピ村のアッダ。それで周りは、トレッツァノ・スッダーダ、カッサーノ・ダッダ、ファーラ・ジェーラ・ダッダなど似た名前であった事がわかった。

 

 

View of Villaggio Crespi d'Adda

 

 

話は基、このクレスピ・ダッダは19世紀後半、紡績・織物工場を経営する資本家クリストフォロ・ベニーニョ・クレスピによって築かれた。

 

 

 

敷地内には教会、墓地を始め、工場、労働者の居住地、病院、学校、お風呂、娯楽場、クレスピ家のお城、教会の司祭館、洗濯場、食料品店などすべてがそろっており、労働者の子供達の学校の文具なども全て提供されていたのだと言う。

 

インフォメーションセンターに展示されていた当時の写真。

 

 
近くの丘の上から撮った風景。
 

 

 

町は、創始者クリストフォロより息子シルヴィオに渡り、20世紀初期には完成された。

 

 

 

 

余談だがクリストフォロの年の離れた弟、アルドは、イタリアの新聞コリエレ・デッラ・セーラの共同経営者でもあった。また、息子のシルヴィオは、車の愛好者であり、イタリア初の自動車専用道路の建設を推進したり、モンツァのレース用サーキットを作った。他にもイタリア初のエジソンシステムの公共イルミネーションが灯されたりと当時では最新を目指し、夢のような町だったのかもしれない。シルヴィオはのち、イタリアの上院議員にもなる。

 

また、アルドの娘であるジュリア・マリア・クレスピ(1923年―2020年)はイタリアのメディア王となった。彼女は非営利の幹部で環境保護主義者であり、イタリアの環境や文化を保護する団体であるFAI (FondoAmbienteItaliano)の創設者である。彼女はイタリア共和国功労勲章を授与された。ユネスコ認定が1995年、ジュリアの死去が2020年。このユネスコ登録に積極的であったのも、納得がいく。

 

余談の余談だが、イタリアは夫婦別姓であるが故、娘であっても伝統的な父親の姓を維持していけるのだと今回思った。


こちらは、ブラマンテ設計の教会のコピー。町にルネサンス様式の教会は今ひとつそぐわない気がしていたが、これはクレスピ家の故郷、ミラノ・マルペンサ空港近くのブスト・アルシツィオの教会の実物を忠実にコピーしたものだと言う。(残念ながら今日はしまっていた)。

 

 

 

 

マンホールや工場、そして工場の窓の装飾にまで施されていたクレスピ・ダッダ社のロゴ?あるいはクレスピ・ダッダ労働者村のロゴまたはシンボル?8角形の星で、進歩の概念と理想の村のビジョンと結びついており、このアイデアの人間的で不完全な表現として捉えられているというが、具体的にはよくわからず。

 

 

町の奥にある墓地。町をつくるには、まずは教会と墓地が必要と考えられたのであろう。

 

 

そんな町も、世界恐慌やファシスト政権の財政政策により売却され、住宅は個人に売却されるものの、町自体は1970年代まで一つの会社に所有されていたという。

 

1995年に世界遺産に認定された。現在は、工場の跡地の中には入れず工事中とか。

 

帰りがけにアッダ川を観に行った。橋の下を覗くのに足がすくんだ。

 

 

 

下流へ降りて行き一休み。

 

 

 

ミラノから車で30分で静かな休日を過ごせるとは大満足であった!

 

 

今日の一句

世界遺産 未来へ残す ユートピア