また、一つ歳を重ねた。
50代最後の年。
還暦までまだ1年あるけれど、50歳を目前にしていた時よりも、何か覚悟というか、心づもりはしっかりしなきゃ!と感じている。
10年前はまだ子供たちは学生で、お金もかかったし、まだまだ彼らのために家庭を支えなきゃいけなかったが、それほど強い意識や覚悟はなかった。
ところで、空手を始めて丸10年。生活がガラッと変わった。(体育会系根性復活!)
またコロナ禍で生活も変わり、働かざるを得なくなり、これまた生活スタイルが変わった。(もともと託児所やオラトリオで子供相手のボランティアはしていたが、長いスパンで子供の成長をみる仕事は、自分の子育てとはまた違う体力気力が必要となった!)
いずれにしても常に人に触れ、そこで感じる喜怒哀楽色々あるが、人を通して自分の存在、在り方を問われる10年であった気がする。
ところで、今朝長男が夏休みで一時帰国した。午前中普通にミサに出かけると、聖歌隊や教会員の人たちに”auguri!!”「おめでとう」と沢山声をかけて頂いた。
普段は友人、知人に言っているが、一年に一度は自分の番。それは幾つになっても嬉しいもの。
午後に友人が鉢植えの紫蘇と取り立ての茗荷を持って来てくれた。紫蘇は毎年勝手に生えてくるが、今回は途中でダメになったり、種も貰ったがすぐに発芽せず。(今頃ちょろちょろ芽を出し始めた)
夕方、夫と友人夫妻と長女と彼とでアペリテイーボに出かけた。
いろーんな話に花が咲き、楽しかったな。
お花屋さんも兼ねておるワインバー。オーナーが小さなブーケをプレゼントして下さった。(ちょうど良い花瓶がなく、ワンパック大関の空き瓶で!笑)
友人とも多肉植物を交換。最近ポーチュラカを種から植えたら、すごい量が発芽してしまいお裾分けした。
アオスタの登山から直接駆けつけてくれたら長女カップルにも花束をもらった。「山から持って来たの?」と聞くと、「いやこの近所で買った」と彼。「山で摘んで来たと思ったよ」と夫。そんなはずないじゃん!
幾つになっても、お花を頂けるのは嬉しい。
年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからずby 劉廷芝
毎年毎年、花は同じように咲くけれど、それを眺める人の顔ぶれや眺める人の心は毎年変わっていく。時の流れの無常、人の世は儚い。
とはいえ、今年も無事誕生日を迎えることができた。
「今日」と言う1日を日々精一杯大切に過ごしていこうと再確認。
感謝!



