学年末の3連休 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

6月2日はイタリアの「共和国記念日」のため週末を合わせた3連休となった。

 

5月31日は、5週のため空手は休み。久々自由の身である土曜日。レッコのピメ・PIMEことミラノ会(ミラノ外国宣教会)の施設を訪問して来た。

 

先月も施設にはお邪魔してきたが、どちらかと言うとレッコ散策がメインになってしまい、十分に司祭の方々とお話が出来なかったので、ゆっくりお話をしたかった。

 

ミラノ会の日本宣教は今年で75年になるが、在伊60数年、下手したら現在の総長様より日本管区についてご存知の方に同行し、もうすぐ89歳、現在90歳の神父様方の日本での宣教のお話を伺うのは非常に興味深いものがあった。

 

昨年イタリアに帰国された神父様とは、これで4回もお会いし、電話やメッセージでやり取りしつつも、毎回会うたびに「初めまして」と挨拶され驚かされる!(苦笑) 前回も「こう言う方がいらっしゃいましたが、ご存知ですか?」と写真を見せられたが、神父様とご一緒の女性は私ではないか〜い?!(笑)

 

いきなり「今日お待ちしています」とメッセージを頂くこと数回。行ったら行ったで「約束をしている人はいない」と断られたり、自分もいつそうなるかはわからない!と毎回感じるが、それでも宣教の話になると目は輝き、宣教魂を伺えるのはありがたい。

 

まさに、

“信仰は、他者に伝えられるときに強められます”(聖ヨハネ・パウロ2世 使徒的勧告『奉献生活』)

 

であろう。

 

聖職者であろうと、なかろうと高齢者の方々との寄り添い方は、人によってさまざまであろう。大切なことは「一人の人間として尊重した関わり」が必要だということ。

 

徐々に体の自由が利かなくっていっても「み旨のままに。」と仰っていた。頭がしっかりしているのに、体が思うように動かないことほど葛藤はないであろう。「読むことが出来るのはまだ救いです。でももう書くこともできなくなり、話すのもつらくなてきました。」と一人の司祭が仰った。

 

父は、亡くなる半年ちょっと前、最後に会った時、「こんなにつらいのなら死にたい。」と言っていた。けれど、そこで信仰があったのならば、また違う生き方、感じ方もあったのだろうか?とたまに思う。

 

死と向き合う時、「生」そのものに対する聡明かつ超然とした関心だ。それを『英知』というのかもしれない。

 

たとえ肉体は衰えていっても、精神や心の完成に向かって進もうとする姿。人間を超える大いなる存在へ、謙虚に精神を向けていく、その心的傾向は「霊性」そのものだろう。

 

他にも、日本にいらしたことのある司祭が2名いらしたが、既に話すことは難しく沈黙の世界に生きておられる。お会いしたかったが、連休中で人手が足りず、その後は祈りや食事の時間があり、ヘルパーさん方を患わせてはいけないのでお声はかけなかった。

 

とはいえ、きっと人には、目に見えないものや、聞こえないもの、そういったものに気づけることが大切なのではないだろうか。沈黙には「生きる沈黙」というものがあることだろう。

 

施設の神父様がたにお会いするたび、信仰への眼差し、神のご計画を感じさせられる。

 

今回は長居をさせて頂き、楽しいひと時が過ごせた。

 

神に感謝!

 

今日の一句

あるがまま 「老い」受け入れる 師の姿