昨日、在ミラノカトリック日本人会でのミサに与ってきた。
まずはパパ様を偲び、そして次期教皇様のためにロザリオの祈りを捧げた。
そして、今日パパ様が帰天され、ちょうど一週間が経った。諸々の行事がライブ配信され、ただでさえカトリック関係は普段からフォローしているので、PCやSNSを開ければ、あちこちからパパ様の記念画像や貴重なメッセージが上がってくるし、あちこちから文書も送られて来る。
ただただ大きな存在を失った喪失感に追いやられているのは、私1人ではないだろう。
しかも信者のみならず、他宗教、無宗教の人たちもパパ様に何かしらの思いを馳せている人は少なくないはず。
本当に大きな愛の方であった。
パパ様は仰った。
>すべての人は希望を抱きます。明日は何が起こるか分からないとはいえ、希望はよいものへの願望と期待として、一人ひとりの心の中に宿っています。けれども将来が予測できないことから、相反する思いを抱くこともあります。信頼から恐れへ、平穏から落胆へ、確信から疑いへ―。
「希望」を育むには人々への「信頼」を揺るぎない物にしなくては育めないだろう。
そして、その「信頼」を揺るぎない物にするためには「祈り」しかない。
宗教は嫌いだ。カトリックは嫌いだ。教会は嫌いだと言う人も多い。けれどパパ様の中に、しっかりとイエスの姿を見た方がいっぱいいるのではないだろうか。
パパ様の笑顔、そしてキラキラとしたいたずらっ子のような目が好きだった。
パパ様は、自ら外へ行き、信仰に生きたことを証してくださった。

“真の偉大さは謙虚さの中に見出される" by教皇フランシスコ
墓碑に刻まれたのは「Franciscvs」の名前のみ。パパ様らしい。
そして、改めて自分の使命感を考えさせられる。
ただただ、パパ様のこれまでの長年にわたる教会への貢献と牧者としての導きに感謝し、永遠の安息を祈ります。
今日の一句
一つ星 希望の光 聖霊と共に



