今日は聖土曜日。
パパ様は以前、聖土曜日は「神の沈黙の日」であるとおっしゃった。
墓に横たえられたイエスは、死の悲劇をすべての人と分かち合った。それは、いつもないがしろにされている人々との連帯としての愛を語り、表わす沈黙。神の御子は、そうした人々に近づき、御父の限りないいつくしみだけが満たすことのできる空白を埋めてくださる。
神は沈黙しておられるが、それは愛によるもの。この日、愛…この静かな愛は、復活のいのちへの希望となるということだった。
ところで今朝、数日前に友人のお父様がお亡くなりになられ、その葬儀に参列してきた。
友人は空手仲間であり、昨年末亡くなった、やはり空手仲間だったF爺をサポートする「チームF爺」でここ数年、特にタグを組んでF爺を共に支えてきた。何度も食事も共にし、お父様の体調があまり芳しくないのは前々から聞いていたが、ついにモルヒネを打つようになったよ...と連絡をもらったその日に息を取られたようであった。
あと5日で82歳の誕生日を迎えるところだったと言う。
葬儀は、ミラノの火葬場で行われた。在伊30年以上の中で葬儀には何度も参列してきたが、宗教色のない、親族、友人たちによる故人への感謝の言葉や心温まるエピソードなどのスピーチによる分かち合いであった。日本での葬儀における一般的な弔辞とは全くことなり、メモを見ながら話す人、講演会のように、腕を組みマイクを持ちながらも左右歩きながら話す人、どれも興味深い話であった。
友人は偉大な人格者なので、きっとお父様もそうであったのだろうとは想像していたが、30年間、彼らの家に仕えているドンナさん(お手伝いさん)のメッセージでは、いかに故人が人種や職種などの関係なしに誰とでも分け隔てなく接し、死が近づいた時であっても、ユーモアとウイットに富んだ会話をされていたと聞き、心が温まり、皆笑顔で挨拶ができた。
誰かが亡くなることは、とても悲しいことだが、必ず誰かの心に生き続ける。これも復活であり、光で満たされる愛だと感じた。
いい葬儀だったね、と一緒に参列した友人とも話したが、行きのバスの中では、乗車してきたお婆さんが、見知らぬ乗客たちに"Buona Pasqua!!" 良い復活祭を!と声をかけておられた。これまた心温まる、今日の恵みであった。
夜は、地元パロッキアでの復活徹夜祭。
復活徹夜祭の一つの主役は火であり、光。教会前に松明が焚かれ、キャンドルにその火を灯し、人にその灯しを分けて入場していく。
キリストこそ、「この世を照らす真の光」であり、私たちはキリストの復活によって、闇から救いだされて「光の子」とされたことを表す。
光は神の存在のしるし、神の力や恵みをあらわすしるしとして聖書にたびたび登場する。よって、復活徹夜祭に光の祭儀が行われるのは、キリストの復活のしるしなのだ。


