Giubileo 2025 〜 その6 聖年ローマ巡礼 隠れ家的名所 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

2011年の夏に、長男と次男を連れてローマへ出かけた。
 
その時、ローマ在住時よく食べていたグラッタ・ケッカ(氷の塊を削ってシロップやフルーツを乗せて食べる氷菓子)の屋台を探して歩いたが、偶然テヴェレ川のほとりで食べた。しかし、それが実際どこだったのだろう?と時折思い出すことがあった。
 
今回、宿泊先からサン・ピエトロまで歩いていくには、テヴェレ川を渡らなくてはいけなかったが、日中は気づかなかったが、夜ライトで輝く屋台を見て、ここだわ!と気づいた。

 

 

夏だからさすがにグラッタ・ケッカはやっていないだろうな…と思って覗きはしなかったが、予想外の記憶が蘇り、ある意味感動した。

 

 

グラッタ・ケッカは日本のかき氷のようなフラフラ感やサラサラ感はないのだが、ジャリジャリ感が、暑い夏、喉に潤ったものだ。

 

また、濃いエスプレッソのグラニータが好きで、家でもよく作るが、パンテオン近くのTazza d'oro のカフェ味のグラニータは最高。1944年創業の老舗。

 

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パンテオンへ出かける度、食べており、2011年ローマへ出かけた時は、3日続けて食べて気持ち悪くなったが、今回は一回でもう降参。半分以上が生クリーム。良くイタリア人はあんなに生クリームたっぷりの物を平気で食べられるものだと感心してしまう!

 

今回の旅は巡礼の合間に、思い出の場所、思い出の味を追ったが、偶然見つけたところもある。

 

コロッセオから友人と待ち合わした場所に行くのに、少し時間的に余裕があったので、少し高めのところからフォロロマーノを見渡そうと思い、手前に出て来た坂を上った。すると、見るからにして古い教会がそびえたっていた。

 

Santa Maria Nova教会とあるが、その下にSanta Francesca Romana教会ともある。

 

もともとは、ネロ帝のドムス・アウレアの遺構の後に建てられた神殿で、9世紀初頭の大地震で、損傷を受け、850年ごろ、教皇レオ4世がこの神殿の廃墟に新たな教会サンタ・マリア・ノヴァ教会の建設を命じた、と言う。そして、1612年に大修復されサンタ・フランチェスカ・ロマーナ教会となったと言う。

 

 今回見ることが出来なかった聖母子のイコンは、もともとはフォロ・ロマーノ内の教会サンタ・マリア・アンテイクワ教会にあったものだと言う。世界最古のイコンと言われている。

 

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祭壇上のモザイクは圧巻。9世紀の作品だそうで、聖母子の右側には、聖ジャコモと聖ヨハネがおり、左側には、聖ピエトロと聖アンドレアが並んでいる。また、聖堂中央部の天井は聖フランチェスカ・ロマーナ。
 
そして、モザイク下、祭壇の聖母子は12世紀のものだと言う。
 
ビデオの最後にちらっと映る、祭壇下の白亜の彫刻は、ベルニーニがデザインした聖フランチェスカ・ロマーナ。
 

なお、クリプタには聖フランチェスカ・ロマーナの聖遺物が安置されている。

 

 

あちこちにベルニーニの彫刻を発見!

 

 美しすぎる!

 

 壁や天井まで細かく、そして圧巻!
 
偶然見つけた教会であったが、隠れ家的教会で芸術の宝庫でもあった。
 
ところで、こちらはたまたまた歩いていて(via di Campo Marzio 1A - Roma)ふと見上げると、かのヴェルディが住んでいたということが記されていた。

 

 
 

『ジュゼッペ・ヴェルディは1859年の冬、ローマでの初演で
人々が初めて仮面舞踏会のメロディーを聞いた時、彼はこの家に住んでいた。
アルプスから二つの海まで、人々の声が、彼の名においてその栄光を称え、
イタリアの希望と解放の王を指し示した』とあった。

 

もともと、ヴェルディはこの曲は、スウエーデンのグスタフ3世を題材にした歴史物語【仮面舞踏会】としてオペラ化し、初回はナポリのサン・カルロ劇場のために作曲される予定だったという。

 

ただ、時代背景として19世紀初頭まで、イタリア半島には無数の小国家と教皇領が乱立し、特に北イタリアは、アルプスの北の強力な帝国、ハプスブルグ家のオーストリアに占領されている状態が長く続いており、特にヨーロッパ北部では、市民革命と共に続々「国民国家」が誕生していたので、イタリア半島でもイタリア人による国家を成立させようとする独立運動「リソルジメント運動」が起きていた。

 

しかし、もともと、団結や連帯が苦手なイタリアの気風や、イタリア各地を事実上の占領下においていたオーストリア、フランス、スペインなどの近隣諸外国の力は強大で、運動は紆余曲折があり、統一までは長い道のりであった。実際に北イタリアのサルデーニャ王国が他国を併合してゆく、という形で、曲がりなりにも「イタリア王国」として、統一されるのは、1861年のことであった。

 

かつて、イタリアにとって統一のシンボル的存在であったサルデーニャ国王(在位1849-61、イタリア王在位1861-78)の名Vittorio Emanuele Rd'Italiaの頭文字を取ると“VERDI”となる。偶然ではあるがヴェルディの名がイタリアの自由と統一を象徴するものとして、あるいは同時にヴェルディを讃えるものとして“Viva Verdi!”があちこちでいわれたり、書かれたりと流行語なったと言う。

 

時の人となったヴェルディはその後、共和政治に直接参加することになった。

 

話はそれたが、今まで知らなかった、気づかなかったローマの発掘の旅も面白かった。

 

続く

 

今日の一句

「ローマ」と「ロマン」 知れば知るほど 奥が深い