ミラノ市からのプレゼント 2024  ~ その2フェデリコ・バロッチ『聖母子と聖シモン、聖ユダ』 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

自分で紹介しておきながら、忙しさにかまけて、市庁舎のフェデリコ・バロッチ展をすっかり忘れていたのだが、それが今日までとわかり昼食後出かけて来た。

 

 

最終日、どれだけ並ぶのだろうか…と危惧していたが意外にその列は短く、上記添付の中央入り口左側の人々のみであり、最後尾についたが、そのまま中に通してもらえた。実際中に入るまでは15分待ったが、それでも寒い中外に並ぶことはなかったので助かった!

 

 

中に入ると、まずはバロッチのデッサンが飾られていた。こちらは、ウフィツィ祭壇画のための下絵"la Madonna del Popolo"(「民衆のマドンナ」1575-1579年頃 )だそうで、通常は、スフォルツェス城内の美術館に展示されているそうだ。 

 

 

バロッチは、絵を描く前に数え切れないほどのスケッチをするなど、非常に几帳面に仕事をしていた画家だったと言う。彼は構図やモデルを使った具象的な研究を行い、照明、遠近法、色を実験したという。

 

 

更に奥の間に入ると、闇の中に光が当たり始め、解説員によって作品の説明が行われた。

 

 

タイトルは、"la Madonna di San Simone"(聖シモンの聖母子)または、『聖母子と聖シモン、聖ユダ(タダイ)』と呼ばれている。

 

聖シモンは、イエス・キリストの12人の弟子であり、シモン・ペトロと区別するために、熱心党というグループに属していたことから「熱心党のシモン」と呼ばれている。彼は、カナン人であり、使徒のなかでも特に信仰が深く、モーセの律法を厳格に守っていたそうだ。

また、聖ユダは、イエスを裏切ったイスカリオテのユダと区別するために「タダイと呼ばれるユダ」と言われる。彼は、新約聖書によると小ヤコブの兄弟であると記され、キリストの親類とされている。彼はキリストの昇天後、ユダヤ、シリア、小アジアなどで宣教したといわれ、64年ごろに小アジアの諸教会に書簡『ユダの手紙』を書き、信者たちが誤った教えに陥らないように警告し、祈り、神の愛にとどまるよう教えている(ユダの手紙4.8)。

のちの伝承によれば、シモンとユダはペルシャで宣教し、そこで殉教したといわれている。

 

左側の聖ユダは、斧で殉教したと言われているが、槍のようなものを持っており、右側の聖シモンは、鋸で切断されたといわれており、その鋸に寄り掛かっている。また、上方から天使が舞い降りてきて、聖母の頭に花の冠を乗せようとしているのが印象的。

 

そして、登場人物の頬が皆赤みを帯びており、温かさを感じる作品。


会場を出て、市庁舎内の別の部屋には、通常スフォルツェス城内の美術館に展示されているプレセピオ(キリスト生誕の場面を描いたもの)も展示されていた。

 

こちらは、18世紀のナポリ彫刻の名手であったジュセッペ・サンマルティーノによるもので、当時のナポリ社交界にインスピレーションを得た登場人物たちの特徴をより豊かにした、そしてコルクと塗装された木製の豊かな伝統的な背景である斬新な作品であった。

 

 

 

 

 

 

 

全て無料とミラノ市太っ腹!
 
今日1月12日はちょうど「主の洗礼」の祝日であった。「洗礼」という賜物に感謝し、日々希望を持って成長させてくださるよう聖霊に祈りながら、この賜物を生きていけますように。
 
今日の一句
静けき 真夜中 貧しプレセピオ