自分を育てる | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

昨日の空手の初稽古の千本突きでは、各々が今年1年の目標を掲げる、という課題があった。

 

毎年、最後まで出来る、出来ない、も重要なのだが、まずは「目標を掲げる」、と言う事はモチベーションをもって進むわけで、目標を掲げないと惰性で年を重ねるのではないか?と思ってしまうのは、私が自分に厳しすぎるのだろうか?それとも普通のことなのだろうか?

 

もちろん、私も目標を掲げたところで、途中でフェードアウトの年もあれば、淡々とこなす年もあれば、必死にやり通す年もある。人はゴールがあるからこそ、そこに向かって走れるわけで、もちろん方向転換して回り道したり、いきなり近道してしまうこともあるかもしれない。しかし、ゴールがないのに、走れ、と言われるとそれは、やはり惰性になってしまうのではないだろうか?

 

今朝、日本の友人とチャットをして考えてしまったのだが、「目標」とは、やはり内面があらわれるもの。しかし、自分に向き合っていない限り、自分自身から目をそらしがちなのかもしれない。忙しすぎたり、悩みや不安、悲しみなどにとらわれすぎてしまい、「自分」を見てみないふりをしてしまう。または、その余裕すら生まれてこないのかもしれない。

 

しかし、「目標」を持ち、それに向かって進むということは、自分を育てることでもあると思う。であれば、なるべく楽しんでやりたいもの。

 

それは、そうそう簡単に出来ることではないだろう。重要なのは、無理せず努力し続けること。コツコツと。その過程を楽しめたら、一番良いのではないかと思う。

 

自分を育てる努力をちゃんと続ければ、1年前、3年前…というように、以前の自分と比較してより幸せに暮らせて行けるようになっていれば良い。以前より「くよくよ」「イライラ」が減り、気分よく過ごせるようになっていると思えば、それを喜べばいいのだ。

 

内容云々よりも、自分が少しずつ進歩、成長していることを実感できれば良いのだ、と。

 

『子供は親が育て

成人は社会が育てる

そして老人になると

自分が自分を育てる』by日野原重明

 

現在、わが国では65歳以上を高齢者、そのうち65~74歳を前期高齢者、75歳以上は後期高齢者と定義している。 あら、やだ。あと数年後には、もう高齢者の仲間入り?!

 

先日行われた新年会では、何かと検査するたび、引っかかる年齢になっていやね~、と笑った。ホントそう。今、どうこうではないが、要観察、経過観察、などと言われてしまうと、何かと不安がよぎる。

 

とはいえ、何事につけても、「良い・悪い」と白黒と判断し、一喜一憂するのではなく、自分にとってプラスになるよう捉えること。どのように生きるか、を重視したい。

 

そのためにも、自分を見つめ、幸せに生きるよう日々努力したいと思うのだ。

 

今日の一句

QOL よりよく生きる 自分育て