待降節第3主日。
年内最後の在ミラノカトリック日本人会のミサがあった。
この日は「喜びの主日」と呼ばれ司祭はバラ色の司祭服を着用する。
ミサはイタリア語で行われたが、私達共同体は、日本語の「聖書と典礼」の冊子を見ながら追った。そして第一朗読は日本語で行われた。
入祭唱は、「主にあっていつも喜べ。重ねて言う、喜べ。主は近づいておられる」(フィリピ4・4-5)。いよいよ主の生涯の始まりを思い起こす。
さらに第二朗読でパウロは同じ趣旨を簡潔に述べている。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(一テサロニケ5・16-18)
これこそ究極の福音とでも言うべき言葉ではないだろうか?
興味深かったのは、第1朗読の、ゼファニヤ書。
娘シオンよ、喜び叫べ。
イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。
娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。
イタリア語は
Esulta e acclama con tutto il cuore, figlia di Gerusalemme!
歓喜し、心から称賛せよ、エルサレムの娘よ
となり、「躍る」という言葉はない。が、日本語の「躍る」は、 喜びや期待などで鼓動が激しくなる、という意味。それだけ喜びが大きいということだろう。
今日の福音では、群衆が洗礼者ヨハネに「私たちはどうすればよいのだろうか?」と尋ねる。
お説教では、日常生活の中には、不安や困難、恐れなどが多く、なかなか「喜んで」生きることは難しい。だからこそ、私たちは主に信頼し、委ねることによって、それを乗り越えていくことが出来るし、「喜び」を「分かち合う」事が重要だと説かれた。
その後、持ち寄り食事会が行われた。
ミラノ会本部の回廊に飾られたプレゼピオ。
ジャマイカのプレセピオ
ペルーのプレセピオ
インドネシアのプレセピオ
インディアン
そしてお食事












