今日からミラノのアンブロジアーノ典礼では、主の降誕を待つ「待降節」に入り、司祭服も紫色になった。
一般のローマ典礼の4週間の「待降節」に比べ2週間長い「6週間」だ。よって祭壇のロウソクも2本多い。
ここのところ、まともに地元パロッキア(小区教会)の日曜日のメインのミサに参列出来ていなかった。
今日は午後から、月一度の日本人ミサもあったが、こちらはローマ典礼であるし、アンフロジアーノの待降節初日を見逃すわけには行かない。信者間の交流をはかるアペリティーヴォもあったのでちょっとだけ顔をだした。朝から教会漬け。爆
ちなみにアンブロジアーノ典礼の福音箇所は、ルカ21:5-28だったが、ローマ典礼はマルコ13:24-32。
クリスマスを目前に、よりよく生きるためにも、日々、自分の欠点を一つ減らす、または良い事をする努力をしてみよう、と説教の中で司祭は話された。身近な人、とりわけ家庭の中で、気を付けてみよう。寛大に。そして、高いところから、または遠くから物事を見ることも大切だといわれた。
確かに、距離が近すぎると物事の本質が見えなかったり、敢えてぶつかってしまうこともあるだろう。また、常に喜んでいよう、と…。
クリスマスは本来「喜び」の日。【喜び】と【楽しみ】では似て非なるもの。本質が違うのだ。
「楽しみ」は自分中心のものであるのに対し,「喜び」は自分の外に輝き,他者とも分かち合えるものではないだろうか?
一度帰宅し、昼食を作りながら、出来あいのパイ生地とジャムで茶話会のお菓子を焼いた。
午後15時よりミラノ外国宣教会の本部にて、日本語ミサ。とてもモダンなお御堂だ。
ローマ典礼は、来週が年間主日最後になる「王たるキリスト」でその翌週から待降節。
王であるキリストと十字架上の受難を伝えるが、今日の福音は、世の終わりの救いの完成に目を向ける内容、つまり、この世は、そして私は何のために存在しているか?と考えさせられる箇所であった。
「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる…天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」。いちじくの木の伸びゆくさまを例に挙げて、世の終わりとは、主の御旨が全世界に行き渡り実現される喜びの日であることを教えて下さる。
この死者の月に、身内の方を亡くされた方がおられ、すすり泣いていた。
主よ、貴方は十字架につけられて回心した者に「きょうわたしとともに楽園にいる」と約束されました。あなたのもとに召されたすべての人を永遠のいのちに迎えてくださいますように。
帰りがけの空は、夕焼けが美しかった。

今日の一句
この道を 歩んで行こう 主が来られるまで

