躾と仕付け 〜 その2 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで30年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

長男のスーツを見ていたら、腰に仕付糸け糸がついてままであった。「切らないの?」と聞くと「切るものなの?」と聞かれた。

 

仕付け糸とは、客が袖を通すまで、洋服が美しい形を保つために施される大事な糸だが、それ以降は切るものなのだよ。

 

「仕付け糸」は、着物を仕立て易いように、縫い目や折り目などを仮に押さえるために縫っておくもの。ただ仕付けには取る仕付けと取らない仕付けがある。

 

たとえば、着物の衿、袖口、裾などにある仕付けは、「飾り仕付け」。綺麗な点線のように、一直線に等間隔に「ぐし縫い」が施されている。基本、細かい綺麗な取りにくい仕付けはとらない。とはいえ、たとえ飾りであっても、着物の縫い目を抑える役目をしているので、取ってしまうと逆に縫い目が浮いてしまう。

ところで、「しつけ」には、上記仕付け糸による「仕付け」と「躾」という漢字がある。

「躾」とは、字のごとく「美しい」礼儀作法を「身」につけることだ。他人に迷惑をかけないことでもあるだろう。

「三つ子の魂百まで」という諺がある。人は、3歳ごろまでに、人格や性格は形成され、100歳まで変わらない、と言われ、科学的にも証明されているようだが、躾に関しても、なるべく小さい頃に身につけさせておきたいもの。

シッター先や、空手の教室でもそうだし、以前やっていたオラトリオにしても、子供をみれば、だいたい親がどういう人なのか目に浮かぶ。もちろん必ずしも子供の様子=親同様ではないが。

それにしても、シッター先では、子供たちには外から帰宅したら、まずは靴を脱いで、手を洗う、と毎回口を酸っぱくしても、なかなか自分から進んで、やることはない。繰り返し言うが、それでも従わなければ、親も聞こえているはずだし、親もしっかり教えてよね!と思うのだが、ある時、子供が靴で家の中をウロウロしていたら、ママさんはイライラ気味だったのかもしれないが、私にちゃんと教えてくれないと困る!というので、はあ?と思った。思わずそれは一番にあなた方が教えることでしょ!と思ったが、黙っていた…。

いずれにしても、「躾」は、押し付けて身につけられるよりも、自分自身で必要性を感じて学ぶことも大切だ。

そのためには、親は辛抱強く子供の成長を見守る必要があるが、シッターはまずは親から辛抱強く見守らなきゃならんのかい?!と思いつつ過ごす日々…。

手本を見せる。言って聞かせる。それでもだめ。では、させてみる。それで終わるか、キレられる。あとは、褒めまくりか…苦笑

いやあ、あの手この手を使っているが、躾や作法は一朝一夕で身に着くものではない。長い時間をかけて、仮縫いのために仕付け糸で仕付けるが、それがいい加減であれば、立派なものは出来上がらない。また仕付け糸に太い糸を使えば、後から抜くと穴が開いてしまう。

本縫いは自分自身だが、仮縫いの仕付けの期間は、丁寧に時間をかけて行かなければならない。それは、お勉強が出来るとか、仕事が出来るとかよりも大事なことではないだろうか?


嗚呼、人生忍耐忍耐また忍耐。

 

今日の一句

忍耐も 過ぎてみれば、生きる醍醐味?! 苦笑