間合い | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで33年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

カンガルーボクシングの写真素材 - PIXTA

 

空手をはじめ、武道では良く「間合い」という言葉が使われる。

 

簡単に言えば、相手との距離のこと。 間合いが近ければ攻めやすく守りにくくなり、遠ければ守りやすいが攻めにくくなる。その状況に応じて最適な間合をとることが大切なのだ。

 

ここ数年、指導をするようになり、考えさせられるのは、門下生との距離。特に子供との距離だ。

 

学校などの教育現場でもそうだろうが、先生と生徒との「間合い」が遠すぎては指導をしても生徒たちには届かない。逆に熱心に生徒との「間合い」が近過ぎても、緊張感やらストレスを高めてしまうことだろう。


逆に道場では、稽古中に子供を抱っこしたり、肩車をしたりする指導者が出て来ると子供たちは緩みすぎ、他の指導者の言う事を聞かないか、何か言われれば不手腐る。まず道場でそんな接し方自体どうかと思うし(武道なんだよ!)、その指導者との「間合い」もおかしくなる。

 

何が大切か?といえば、相手をよく観察するということ。

 

しかし、あの手、この手を使っても相手に伝わらない。アプローチが悪いのだろうか?飴と鞭ではないが、褒めまくったり、なんとかやる気を出させようと思うが、どうも響かない。

 

…というか、目が合わない子の多さに驚かされる。集中力が続かないということもあるだろうが、やる気あんの?と思いつつ、「お~い!〇〇!聞いてる~?」目の前で手を翳すが、それでもふわ~ん。もしかしたら、自分の意志で来ているのではないのだろうか?とさえ感じてしまう。

 

「打てば響」子/人を指導するのは、指導側も面白いが、そうでない子/人に空手の面白さを教えるのが、指導者の醍醐味であり、使命であると思って来たが、折れそうな日々。

 

ふざけだしたり、おしゃべりをしようものなら、「ここは稽古する場。神聖な場。」「時間を無駄にしてはいけない」「他の人、道場に対しても感謝の気持ちを持とう」などというが、シーン。少しは反応しようよ。「返事は?」と言ってもシーン。もう泣きたくなってしまう。とは言え、道場に入ると正座して待つイタリア人の小中学生も数人出てきた。それは嬉しい事。

 

きっと嫌なおばさんだと思われているんだろうな…と思う。しかし、そういう人間も必要だと師範はおっしゃるが…。嫌な役。

 

道場は今や、広告を出していないが、ホームページや口コミを通してかなり問い合わせや体験、入会者がある。少なくてもイタリアの道場の中でこんなに日本人の指導者のいる道場はないことだろう。しかも日本人女性の黒帯保持者が多いのだが、こんなに親切丁寧にやっているところあるか?と思うが、まあまあここはイタリア。

 

日本人であれば、見よう見まねで型のみならず、礼儀作法なり準備や掃除なども上の人を真似し、率先してするだろうが、そうそうそういうイタリア人は現れない。だからと言って、口で促すのもどうなのだろう?と思う。ましてや順番性もいいが、自らすることに意味がある。

 

彼らが大人になって、道場で言われた事が心に響く日が来ることを願ってはいるものの…うるさいおばちゃんでいるのも辛いわ。(多分家にいる以上に口うるさい気がする)しかし、そういう人も必要であろうとも思う。(でも私~?!)


ところで、宮本武蔵の「五輪書」の中には、「目には観の目と見の目があるが、観の目を強くし、見の目は弱くする。」という言葉がある。

 

これは、兵法の極意として書かれたものだが、相手の動きを「目」で見てから行動を起こすより、「観の眼」つまり「心の眼」で相手の動きや心理を良く観る事が大事だということを説いてる。しかし、相手の心を読む、ということはそうそう簡単ではない。

 

稽古や試合を拝見して学ばせて頂く。そして相手に対する敬意を持つことが大切。それは指導者も門下生も同じ。

 

「体の鍛錬」と共に「心の眼の鍛錬」が非常に大事。常に意識を持つこと。

 

日々精進だ〜。

 

今日の一句

空手でも 忍耐忍耐 又忍耐