父が亡くなった時、父が愛用していたコンパクトの辞書を数冊持って帰って来た。
そのうちの一冊、ことわざ辞典を思い出しては読んでいる。表紙の裏側はロダンの「考える人」。
今夜、適当に開いたページは
自慢高慢馬鹿のうち
であった。
「自分のことを鼻にかけて、偉そうにしている者は馬鹿の仲間である。」とあった。
類語として
「自慢は知恵の足らぬ大馬鹿。」
「自慢高慢馬鹿の行き止まり。」ともあった。
確かに人の自慢話を聞いて、素直に羨ましく思ったり、尊敬は出来ないかもしれない。また言ってる...と思って聞き流してしまいがち。
先日何かのトーク番組で、芸能人が「自慢、説教、長話は老害だ」と言っていた。特に今時の若い人の前で昔の功績やら、長い話を持ち出されたら、あからさまに嫌がられるのだろうか?と思ってしまった。
まあ逆を言えば「謙虚さ」がないと言うことであろう。たまに、何を根拠にあんなに自信過剰なのだ?と思う人に出逢う。
直接言葉にして自慢はしなくても、態度に現れている。
特にイタリアでは、自己主張する事が良しとされている反面、他者の意見や訂正を素直に受け入れない傾向が強い人も多い。
自分の能力や成功をひけらかし、逆に人がやりたがらない仕事や目立たない仕事はしたがらない人も多いかもしれぬ。
自慢高慢馬鹿のうち
きつい言葉だが、無知の無知。無知故に自分は何でも知っている、と思いがちになってしまうという戒めだろう。
感謝することを忘れず、自分の立場をわきまえ、客観的に自分を見ることが大切だ。それは立場が上になればなるほど言えること。
それにしても「考える人」は、何をそんなに深く考えているのだろう?と思っていたが、実際ロダンは新しく建造される予定の美術館からの依頼で「地獄の門という作品を作り始めていたが<制作途中で美術館の建造自体が中止。ロダンは「地獄の門」を制作し続けたが、完成前に他界。
ダンテの「神曲」から着想を得たといい、「考える人」のポーズは何かを考えているのではなく、地獄に落ちた者たちを裁判官が上から見ている様子を表現しているという。えーっ!何も考えてないの?しかも、地獄に落ちた人を見下しているわけ???!爆
今日の一句
(やっぱり)
実るほど 頭を下げる 稲穂かな