朝活 ~ ミラノ再発見 San Vincenzo in Prato | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 朝一番、仕事へ出かける前に、シッター先に近いメルカートへ出かけようと思い、家を出た。

 

8時半近くに到着。我が家の近所のメルカートだと8時には屋台が並んでいるが、そこはまだ屋台を広げ、商品を並べているところがほとんどではないか!

 

しかし、目当てで出かけた糸屋さんは、時間が早くてまだ来ていなかったのか?今週いっぱいまだ夏休みなのか?結局会えず仕舞いで仕事に出かけることに…

 

時間が微妙に早く、どこかバールでコーヒーでも飲んでいくか?と思ったが、見つからず。


そこでいつも、ある教会の裏側の通りしか通らず正面を見たことがなかったのだが、ロマネスク様式の教会の目の前に出た。San Vincenzo in Prato教会。昨年、本来ならば、シッター先のツインズはそこで洗礼を受けることになっていたのだが、急にパパさん側の祖父がクレモナの地元でするよう地元の議員を通し、普段は開いていないお御堂で洗礼するよう手配してしまい、最終的にS.Vincenzoでの洗礼は無効となった。そちらの司祭にママさんは嫌味を言われたと言っていたが(よくあること!)、将来的には、この教会でツインズたちは、カテキズモを受け、初聖体と堅信を受けることになることだろう。

 

ミラノでも最も古い教会の一つで、8世紀から 11 世紀にかけて建てられたようだ。

 

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教会名ははじめは聖母に捧げられていたが、のちに聖Vincenzo Ferreri(ビセンテ・フェレール(スペイン語:Vicente Ferre)に由来しており、"in Prato"プラートにある、という意味は、当時ミラノのオデルペルト司教が所有するプラータとして知られる農場にあったため付けられたのだそうだ。オデルペルト司教は、806年1月にサンタンブロージョ修道院の修道院長アリガウソにそれを与え、彼の功績により、彼の死後にミラノの教皇庁の手に戻ることが条件となった、という。

 

また、18 世紀末からナポレオンによる支配下に置かれていたミラノでは、町の多くの教会は軍事目的に利用されたというが、San Vincenzo in Pratoも然り、軍の倉庫、厩舎、兵舎として使用されていたそうだ。


しかも、19 世紀の最初の10年間、この美しいロマネスク様式の建築は、化学工場であったという。教会内に設置された化学実験室のせいで、時間の経過とともにその構造に損傷を与え、15世紀の絵画装飾の多くが失われたと言う。かつて鐘楼があった場所には煙突が建てられ、窓、煙突、教会のあらゆる隙間から漏れ出る煙や蒸気のせいで、"CASA DEL MAGO" (魔法使いの家)と呼ばれていたというが、そこで生み出される恐ろしい瘴気について住民の間で争われていたのだそうだ。

 

 

 

image 教会正面入り口の内側 

 

 洗礼堂 
 
入り口入ってすぐ左側にあるが、洗礼盤の一部を形成している聖石は、ヴィア・ダンテを新たにするため1889 年に取り壊された、San Nazaro in Pietrasanta教会からのものだという。

 

 

地下聖堂。こちらは1989年に修復終了。↓

 

 859年(教会の最初の奉献の年)に発見されたサン・キリノの遺体
 

 

 
さまざまな時代と歴史の影響の共存と新しい技術の採用によって特徴付けられた教会。ガイド付きのツアーも催されていると言う。(でないとよくわからない!)
 
朝から慌たださの中に静寂な、そして歴史ある奇妙な?雰囲気に包まれた。次回は是非ミサにあずってみたいものだ。