最上のわざ
この世の最上の業は何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうな時に希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架を担う――。
若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、
弱って、もはや人の為に役立たずとも、親切で柔和であること――。
老いの重荷は神の賜物。
古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために――。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事――。
こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。
神は最後にいちばん良い仕事を残してくださる。それは祈りだ――。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために――。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声を聞くだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と――。
「人生の秋」 ヘルマン・ホルベルス著 春秋社
ここ数年交流のあったミラノ会の在日イタリア人司祭がまた一人、帰天された。
コロナの前だっただろうか?帰国中神父様を訪ねていき、帰り際、ご自分も買い物があるからと言って駅まで歩いて送って下さった。ずっと話しながら、歩いては止まり、そこで話、また話しながら歩いては止まり…しゃべりながら歩き続けるのではなく、重要な話になると(重要でなくとも!)必ず立ち止まって話すのだ。まさにイタリア人スタイルのおしゃべり。だから時間がかかる!かかる!笑
「ある年齢になり、体がそれまでとは全く同じようには動かなくなり、葛藤もあります。それでもすべてを受け入れ、神様にお捧げするしかないんですね。」いつも優しい口調だった神父様。
先週から意識のない状態だと連絡が入り、なるべく多くの友人知人の信者に拡散し、祈り続けてきたが、それも虚しく、神様の招待状をお断りできなかったようだ。とはいえかなり苦しい思いをされてきたと思うので、その苦しみから解放され、安らかに主のみもとに旅立たれたのなら、それはそれでお疲れ様、今度は天国からお導き下さい、と思う。
ところで、今日数人のグループでランチに出かけたのだが、その内のお一人が、かれこれ7年闘病生活を強いられているのだが、明日は検査があり、それによっては体調が崩れるし、また出かけたレストランが来週から夏休みに入るということで、今日に設定されたのだが、集合した途端に、日本に宣教に行かれていたことがある知り合いのシスターの危篤の連絡が入った。
人間だれしも、「生」があれば「死」があるわけで、その終わりがいつ来るかはわからない。
>老いの重荷は神の賜物。
>おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事――。
きっと自分にもそう感じる日がいつか来ることだろう。
わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。 (フィリピ4:11)
byベネディクト16世
神父様、いろいろありがとうございました。まだまだ語り尽くせない話が山ほどありました。いつか天国でお会いしましょう。
感謝と祈りのうちに。

