最上のわざ ~ その5 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

 

 

最上のわざ

 

この世の最上の業は何?

楽しい心で年をとり、

働きたいけれども休み、

しゃべりたいけれども黙り、

失望しそうな時に希望し、  

従順に、平静に、おのれの十字架を担う――。

若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、

人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、

弱って、もはや人の為に役立たずとも、親切で柔和であること――。

 

老いの重荷は神の賜物。

古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために――。

おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事――。

こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。 

神は最後にいちばん良い仕事を残してくださる。それは祈りだ――。 

手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。 

愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために――。 

すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声を聞くだろう。

「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と――。

 

「人生の秋」 ヘルマン・ホルベルス著 春秋社   

 

ここ数年交流のあったミラノ会の在日イタリア人司祭がまた一人、帰天された。

 

コロナの前だっただろうか?帰国中神父様を訪ねていき、帰り際、ご自分も買い物があるからと言って駅まで歩いて送って下さった。ずっと話しながら、歩いては止まり、そこで話、また話しながら歩いては止まり…しゃべりながら歩き続けるのではなく、重要な話になると(重要でなくとも!)必ず立ち止まって話すのだ。まさにイタリア人スタイルのおしゃべり。だから時間がかかる!かかる!笑

 

「ある年齢になり、体がそれまでとは全く同じようには動かなくなり、葛藤もあります。それでもすべてを受け入れ、神様にお捧げするしかないんですね。」いつも優しい口調だった神父様。

 

先週から意識のない状態だと連絡が入り、なるべく多くの友人知人の信者に拡散し、祈り続けてきたが、それも虚しく、神様の招待状をお断りできなかったようだ。とはいえかなり苦しい思いをされてきたと思うので、その苦しみから解放され、安らかに主のみもとに旅立たれたのなら、それはそれでお疲れ様、今度は天国からお導き下さい、と思う。

 

ところで、今日数人のグループでランチに出かけたのだが、その内のお一人が、かれこれ7年闘病生活を強いられているのだが、明日は検査があり、それによっては体調が崩れるし、また出かけたレストランが来週から夏休みに入るということで、今日に設定されたのだが、集合した途端に、日本に宣教に行かれていたことがある知り合いのシスターの危篤の連絡が入った。

 

人間だれしも、「生」があれば「死」があるわけで、その終わりがいつ来るかはわからない。

 

>老いの重荷は神の賜物。

>おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事――。

 

きっと自分にもそう感じる日がいつか来ることだろう。

 

わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。 (フィリピ4:11)

 

 

byベネディクト16世

 

神父様、いろいろありがとうございました。まだまだ語り尽くせない話が山ほどありました。いつか天国でお会いしましょう。

 

感謝と祈りのうちに。