ある宣教師の納骨式 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

この2月にお亡くなりになられた、ミラノ外国宣教会のテンペリー二神父様の納骨式に参列してきた。享年93歳。

 

 

テンペリー二神父様は 1926年12月3日、イタリアのヴェネチアに生まれ、少年期にヴェネチア教区の神学院に入られた。1951年7月1日、ミラノ外国宣教会の司祭として、司祭叙階。1955年に、当時のヴェネチア枢機卿であったANGELO RONCALLI (のちの教皇聖ヨハネ23世)の祝福を頂き、日本に派遣。横浜教区の甲府教会、富士吉田教会をはじめとして、 福岡教区の鹿島教会、佐賀教会、多久教会、最後はロザリオの園、主任司祭と園長として、日本の社会、特に日本におけるカトリック教会のため、最後の最後まで、イエスの宣教師として人生を捧げられた。

 

ところで、昨年、映画「沈黙 - サイレンス」を観た後、常に「信仰とは?」と問われるものだった。そして、「宣教とは?」

 

宣教とは、道端で宣伝をしたり、訪問勧誘をし、信者を増やすことではない。宣教とは、十字架上につけられたイエスの愛を証しすること。

 

パパ様は 「洗礼を受けたすべての人が…主イエスを証しするよう招かれています」とおっしゃった。宣教師は、遠い地に出かけ、現地の言葉を学び、しばしば困難な生活を送って、イエスを証ししている。修道者は清貧の誓願によって貧しい人々の兄弟姉妹となることで、イエスに倣う。観想修道会の修道者も、宣教の守護者となった幼いイエスのテレジアのように、祈りと観想によって宣教を支えとする。信徒も祈りと献金によって宣教を支え、またその生活を通じてイエスを証しすることができる。つまり、行いなしで宣教、そして信仰の証しはできない。

 

話は戻るが、納骨式は東京の府中にあるカトリック墓地でミサの後に行われた。地元百合丘教会の主任司祭に着任されたマリオ神父様と共に、神父様のお車で現地へ向かったのだが、やはり話題は日本での宣教についてだった。

 

今の時代、日本では宣教師たちはもちろん信者も信仰することで、殉教することはない。けれど、いかに宣教するか。「もうすぐイタリアへ戻られるのならイタリア語の練習をしましょう!」といって会話はすべてイタリア語となった。

 

現地へ到着し、日本にはミラノ外国宣教会の司祭が17名活動しているが、ごミサには10名が参列。たまたま他の国から来日していたミラノ会の宣教師も一人いらしたので11名。信徒は私一人。お説教のみイタリア語の日本語のミサであった。その後納骨。

 

 

既にミラノには、蚊が出現し、ポプリの綿も舞い始めたようだが、また日本も梅雨入りした地域もあるというのに、寒くてぶるぶると震えてしまった。とはいえ、雨が降らなかっただけ助かった。その後食事会。

 

私から、神父様方に病気でイタリアに帰国中の元日本管区員の神父様方の状況を報告。特にパーキンソン症候群で帰国された神父様はリハビリで驚くほどの成果を見せられており、日本へ戻られることも可能か?と言う位皆で喜んだ。再来年の2020年は、ミラノ会の日本宣教70周年。記念に何かしたいですね~と話した。

 

帰りも百合丘教会の神父様とご一緒。司祭のお説教における霊性とは?日本人司祭とイタリア人司祭で感じる違いなど、私が感じる疑問点を沢山ぶつけさせていただいた。苦笑 さすがにイタリアの教区司祭にこの話をしても、何もわからないことだろう。興味深い疑問だ!と神父様と共にあらゆる可能性や文化背景などを話すのは非常に楽しく有意義な時間を過ごさせていただいた。

 

駅で降りるつもりが話がおわらず、結局神父様のご自宅の駐車場までご一緒し、私が駅まで歩いていく道を神父様もお散歩がてら来てくださり、『宣教』とは?と話し続けた。なかなかこういった時間はもてない。ありがたいこと。神に感謝!

 

“信仰は、他者に伝えられるときに強められます”

(聖ヨハネ・パウロ2世 使徒的勧告『奉献生活』)