花とおともだち ~ 星の王子さま | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

 

先週、空手仲間のF爺が2か月ちょっとぶりに退院、帰宅した。

 
その日の夕方彼に電話をすると、「誰が送ってくれて、その後、誰が訪問してくれて…」と報告してくれたが、彼らとは連携プレーで全部聞いていたけれど、「そうなんだ。良かったね!」と伝えた。
 
「バルコニーの花たちに水をあげ、今までの不義理を謝ったんだ。自分は花たちに話しかける。変だろう?」とF爺。
変じゃないよ。私も植木の花たちに話しかけるもの!笑
 
以前、友人の家へ行くと、「見て!我が家のT子がこんなに大きくなったの!」といってミニバラを見せられたことがある。なんでT子?私の名前…?彼女は、友人・知人にいただいた植物はその贈り主の名前を付けているのだと言っていた。確かに私がプレゼントしたミニバラであった。
 
ところで今、久々「星の王子さま」を読んでいる。内藤濯氏訳と池澤夏樹氏訳との読み比べ。同じ小説でも翻訳する人によってその世界観は変わってくるのだが、作中には、王子さまとバラの花との関係が描かれている。(内藤訳では、バラはお高くとまり、つっけんどんな態度が尊大で傲慢ささえ感じるが、池澤訳はもう少し柔らかなイメージを感じるのは私だけだろうか?
 
のちにキツネと出会い、バラとの関係性を指摘され、はっとする。
 
「あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思ってるのはね、そのバラの花のために、ひまつぶししたからだよ」(内藤訳)
「きみがバラの世話をした分だけ、きみとバラは仲良しになれる」(池澤訳)
 
この部分に関しては内藤訳が好きだが、何かを大切に思う心、感受性というのは、「星の王子さま」に描かれているメッセージの中の一つでもある、『大切なものは目にみえない』そのものであろう。
 
花を見ると、
「頑張っているね、すごいよ!」
「大きくなっているね。ありがとう!」
「沢山つぼみを持ったね。」
「きれいな花をどんどん咲かせているね、嬉しいなあ」
 
…などと自然に元気になったり、プラスの言葉が出てくるし、誰かと喜びを分かち合いたいと思うようになるのだ。
 

自分以外の物事に時間を費やす。それは何故、何の為に、時間を費やす必要があるのか、と考える。「かんじんなことは、目に見えないんだよ。」(内藤訳)

 

本当に大切なものは、その目に見えない「時間」の中に存在するのであろう。