現在日本で放映中である映画「銀河鉄道の父」の予告を見て、宮沢賢治作品が読みたくなって、家の本箱を漁ったら、まだ読んでいなかった「風の又三郎」が出てきた。
内表紙をひらくと「どっどど どどうど どどうど どどう…」とあり、あれかあと思いだした。子供たちが小さい頃、NHKの「にほんごであそぼ」でよく聞いていたフレーズだ。
宮沢作品は動物の主人公なり、何かしらの形で動物が出てくるものが多いが、この作品は夏休みが明けた東北の小学校に転校生がやってくるシーンから始まり、これはSFファンタジーか?などと勝手に想像力が先走りながらも読み進んでいった。笑
児童たちは、この転校生が「二百十日(にひゃくとおか)で来たのだな。」と言う。二百十日って何?子供たちは、転校生の名前を聞く前から彼を「風の又三郎」と呼んでいた。
読みながら、雨雲レーダーではないが、どんよりとした空、雲の流れの速さと徐々に強くなる風が目に浮かんで来る。
立春から起算して210日目が9月1日の二百十日(にひゃくとおか)、220日目の二百二十日(にひゃくはつか)、旧暦八月一日の八朔は、稲穂が実り、収穫に入ろうとする寸前に大風(台風)が襲来して大打撃をもたらすことが多いことから古くより農家の三大厄日としていたようで、子供たちは転校生であった高田三郎を210日にやってきた風の神である「又三郎」であると信じ、そう呼んでいたのだと後から気づいた。
この物語は、賢治が亡くなった翌年の1934年に刊行。1940年に映画化されている。
物語では、髪が赤く、真っ黒な丸い目を持ち、小学3年生という設定であったが、映画では、三郎は小学5年生でやはり黒く丸い瞳であった。転校生に対し、やたらちゃちゃをいれる6年生の一郎役は、1998年に亡くなっている俳優の大泉滉氏であった。晩年のダリのような髭のイメージしかないが、目のくりくりしたかわいい子役であった。(ちなみに彼はロシア人とのクオーターだそうだ。)
そして、優しいカラーの本にくらべ、映画はもちろん白黒。昭和15年であれば、我が亡父はまだ小学校には上がっていなかったが、賢治と同じ花巻市出身で、父の小学校入学時の写真を思い出す。本の数年の差だろうが、映画では子供たちは皆着物を着ていたが、父は洋服を着て、ランドセルを背負っている。
父はおぼっちゃまだったのか?笑
話は基、白黒映画でも、キラキラと輝く自然、現実と妄想?の世界が交差し、やはりファンタジーか?
作中で、三郎は煙草の葉をむしって、専売局に叱られる!と周りに非難される。そういえば、賢治の実家は、「宮澤商店」という質屋を営んでいたというが、現在も親類が継いでいるそうだが、かつては専売局指定の塩とたばこの卸業者(元売捌人)もしていたのだそうだ。
また、三郎の父は「モリブデン鉱石」の鉱脈を探しに東北へやってきたが、会社の方針で、その鉱脈には手を付けないということで、急遽再び元居た北海道に戻っていった。鉱物に明るかった賢治ならではの描写であろう。彼の他の作品でも鉱物や岩石、地質用語はたびたび登場する。
本では、子供たちは川遊びののち川辺で鬼っ子あそび(?)をするが(映画では相撲)、大雨になってめいめい家へ帰っていくのだが、映画では、「(負けて悔しかったら)風を吹かせてみろ!」とけしかけられ、そのおまじないとして、「どっどどどどうど…」と歌を歌う。
どつどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも、吹きとばせ
すつぱいくわりんも吹きとばせ
どつどど どどうど どどうど どどう……
映画では1番ー甘いリンゴ、すっぱいリンゴ、2番ー甘いザクロ、すっぱいザクロ、3番ー甘いくるみ、すっぱい花梨と歌っていた。その旋律は、半音で下がっていき、悲しいながらに、神秘的で心に残るものであった。(上記映画1'19''10-)
映画では、担任の先生は「(春分から)210日から220日にかけて昔から暴風雨が多いので、それを用心するよう言われている。風の大家族が引っ越しをするが、途中で道草をするので、220日が過ぎるまでは十分注意をするように。」と児童に注意するが、三郎もまさに東北で道草をしていったのだろうか。
大風、自然に対する畏敬の念と、「又三郎」伝承。そして無邪気な子供心と寂しさ。なぜか余韻が残る一冊であった。




