乳幼児が周囲の世界に好奇心や興味を持ちながら、日々学びや発見を重ねていくのを見るのは非常に興味深い。しかも自分の子供でなければ第三者として客観的に見ることが出来るから、尚更良い。
子供達は日々さまざまな能力が発達していく中、周囲の環境や他人との関わりによって自分の存在に気付いていく。
シッター先のツインズは生まれた時から、両親や祖父母の愛情をわかち合ってきたが、何せ、長男はおっとり系。そして、次男は小さい頃から、愛想がよく、それでいて落ち着きがなく、あまりにも本能的。要領の問題ではないが、あまりにも頭の回転も速く、本能的に動き、また周りの注目を浴びやすいので、ある時から長男が何事にも微妙に我慢せざるを得ない状況になってきた。しかも、言葉が遅い分、言いたいことが上手く表現できない。そういう葛藤もあり、耐えに耐え、最後にがつんと弟をたたくことさえある。
ところで、復活祭前からこの3週間近く、誰かしらが具合が悪く、ツインズのどちらかと三男をみている状況。
当時、保育園でstreptococco, ストレプトコッコと言うのが流行っていると聞いた。調べると「連鎖球菌」と出るのでよくわからなかったが、よく考えたら「溶連菌」の事のようだ。薬局へ行けばコロナ以外に、この溶連菌の検査も出来る。
長男は39度台の熱が復活祭をはさみ10日以上続いた。溶連菌の検査では陰性であったが、常に鼻水を垂らしていた。また三男も青っ洟を片側だけ出しており、定期的に耳垂れが出る。もう耳のくぼみの部分がべったり液体で埋まり、かたまりつつあるのだ。そんなの初めて見たし、母に言わせれば、昭和じゃないのに…と笑っていたが、確かに青っ洟をたらしている子など珍しい気がする。
結局毎回治りきらないうちに、保育園に言ったり、放っておくから次から次へ微妙に違ったウイルスをもらってくるか、病状を繰り返しているのかもしれない。そして、今週から長男と次男が入れ替わり、次男が高熱のため自宅療養。まだひきつけないからよいものの、乳幼児の高熱は侮れない。
長男は具合が悪くても、自宅療養の間は、私にべったりで、親の言うことも聞き分けが良かった。上手く言葉にはならないが、よく話し、一人っ子同様、自分だけに注目してくれるのが嬉しいようだった。そして、次男が帰宅すると、喧嘩が絶えず。
しかし、三男が1歳を迎え、自我がはっきり芽生え始め、ママさんが兄弟に取られたり、私がツインズの誰かを抱こうものなら、もう怒り、兄弟をたたいたり、髪の毛をひっぱったりする。そうだ、嫉妬の芽生えなのだ。ツインズたちも"la mia mamma"といって喧嘩をする。マンマは僕のものだから、お前(兄弟)はパパのところへ行け。そして、ピー(三男の通称)はT子のところへ行け…と。爆
確かに、一人っ子で、いとこなど身近な親類が、身近な生活の中におらず、大人の中の生活をしていたら、こういった感情もなかなか湧いてこないのかもしれない。しかも、敢えて競争をさせない社会にいようものなら、喧嘩や精神的いらつきがないのも、良さそうには見えるが、実際どうなのだろうか。
自我の芽生え、その感情といったものは、成長の証でもあると思う。もっと大きくなれば、イヤイヤ期やら反抗してくる時期もでてくるが、それも少しずつ自立していく段階だ思えば、依存と自立の間で葛藤しながら、親や周囲との距離感を構築していく時期につながることだろう。
我が家の子たちは、反抗期が長かったので、本当にきつかった。
ただ、今になって思えるのは、自我がうまく目覚めず育たないまま大人になると、いつも人のいいなりになってしまい自分の意見が持てなかったり、意見をうまくいえなかったり、また、誰かの指示を待ってしか行動できない人間になってしまう危険性もあるのではないかと思う。もちろん、育つ環境によって自我が育ちにくく、大人になって初めて自分でやりたいことを認識したり、意見を言えるようになることもあるかもしれない。また、社会に出てから葛藤を繰り返しながら、人間的に成長することもあるだろう。
だから自我の芽生えは大いに結構!ただ、それを受け入れる大人、特に親の器は重要。今はそのとばっちりの方がきついかも。苦笑
これも修行と思っておこう。爆
余談だが、添付の画像は、昭和41年発行された『めばえ』の表紙。
