私は、人といるのも好きだが、一人で家にいることも好き。
最近は、仕事と空手以外に何もない日は、早く家に帰りたいと思ってしまう。
特に最近は、夫が日本出張のため、いかに手をかけずに夕飯を作るか?常備食やらお弁当のおかずを要領よく作る(しかもお金をかけず!)事を考えるのが好き。また黙々と編み物をする。
こう言った趣味や好きなことに没頭したり、心の奥にある内なる声と向き合う「一人時間」をしっかりと作るのが至福の時なのだ。
ところで最近、FBFが女優の石田ゆり子さんのことを書かれていたが、偶然彼女の記事を読んだ。
「昔からひとりで過ごすのは好きだし、人と対等につながるために、この時間が欠かせないと思っている。一人で過ごしているといろんなことを考えるし、自分を育てられる。そういう時間を持つことで、精神的に自立できる。逆に、たとえたくさんの人と関わり合っていたとしても、自立している者同士じゃないと仲を深められないとも思う。だから、きっと誰しもひとりの時間は必要なのでは?」とゆり子女史。
そして、「一人は決して孤独ではない」、とも。
また、「一人の時間は自分の中にいる自分と話しているから、自分にとっては結構楽しいというか、賑やかなこと。そう考えると、気が合わない人と無理して一緒にいるほうがずっと孤独で寂しい。嘘なく、取り繕わずに生きていたいもの。もちろん、仲良くしていた人と疎遠になってしまったりすると悲しいが、人はそれぞれ個の存在だから、人と深く関わり合うなかでも最後は自分の足で立っていないといけない。」。
それにしても、どうして結婚しないのか?寂しくないか?と聞かれることもあるそうだ。「ちっとも孤独ではないし、十分幸せ。マイペースに自分らしく生きられるってとても楽しいこと。そして、そう思えるのは、友達や仕事仲間、大事な人たちときちんとつながれているから。逆説的なようだけれど、ひとりの時間があるから、人と深く付き合える。」
なるほどねー。共感できる。
50代で独身であることに「なぜ結婚しないのですか?」そんなの余計なお世話ではないか?そんな体裁だけにこだわることを聞くのは日本人だけではないか?
一人でいることをこんなふうに楽しめている人は、二人でいて不満や文句ばかり言っている人よりよっぽど幸せそうに見える。
群れないことは孤独ではなく、勇気であり幸せなこと。この3年、コロナ禍で私自身、人との付き合いも極端に狭まった。あら私って意外に友達少ない?しかし、ある程度の年齢になると、上辺だけの人付き合いはいいわとさえ思ってしまう。
それは寂しくなったのではなく、淘汰され、研ぎ澄まされて、一人時間がよりいっそう賑やかになった。
本音で付き合える少ない友人だけでいい。
充実とは何か?
“Only is not Lonely”
ほぼ日の糸井重里さんの言葉。
孤独は孤立を意味しない。むしろ真の孤独を知った人同士は、深く強く結ばれる。そのために私たちは、孤独にものを考える時間がいる。一人時間、「孤」の時間が人を成長させる。
