深沈厚重 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

最近、個人的にちょっとした事で、カチンと来たり、それ故に気分が悪くなることが多い。
 
そりゃないじゃん! 
器ちっちぇー!
やれるもんならやってみな!
 
心の中で叫ぶ。心の声が外に漏れない様、要注意だが...苦笑。
 
あまりにもそう言うことが続くと、あーあの人、自分のことで一杯一杯だから、人の気持ちを汲んであげることができないんだな...と思いはっとする。
 
あれー、私こそ自分が正しいと思って、相手の気持ちに寄り添わず、逆に自分の「辛さ」や「大変さ」をわかって!の裏返しで、そういう態度をとってしまうのか⁇ 私、器ちっちぇー!苦笑
 
ただただ時間に流されるような生活の中で、自然体、あるいは敢えて大らかに生きられたらどんなに幸せか?
 
情緒豊かなことは大切だが、その感情に振り回され、慌てるようではいけない。つまり、冷静沈着で、どのようなことが起ころうとも、事実をありのままに受け止められる勇気を持ち合わせることも重要であろう。どうなるかわからない先のことに思い煩わされ、必要以上に不安になったり、気分が高揚することなく、刻々と過ぎゆく瞬間を楽しもうとするスタイルを貫くのが理想だ。
 
弱肉強食、競争社会、無関心、孤立…こんな時代だからこそ、大らかさが必要だろう。人の心を落ち着かせてくれる深沈厚重な人物が。
 
ところで、明の時代の政治家・思想家であった呂新吾の著書に『呻吟語(しんぎんご)』という著書のなかで、「深沈厚重」という言葉を見つけた。
 
それは、ある人物像として、
 
「深沈厚重なるは、これ第一等の資質。磊落豪雄なるは、これ第二の資質。聰明才弁なるは、これ第三等の資質」とあり、
 
「深沈厚重」とは、どっしりと落ち着いて深みのある人物のこと。(寛容かつ威容、確固たる信念を持ち合わせている様)
「磊落豪雄」とは、積極的で細事にこだわらない人物のこと。そして、
「聰明才弁」とは、頭が切れて弁が立つ人物のこと、とあった。
 
今時ネットをみていると、世間で目立つ聡明才弁の士や磊落豪遊の人が評価されがちだが、どうもペラペラしゃべる人、知識をひけらかす人、特に男性はうさん臭くて、信用できない。
 
それよりもたとえ目立たなくとも、落ち着き、そして寛容さのある人の方が魅力を感じる。
 
目指すべき生き方を考えてみた。