しあわせな王子 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

The Project Gutenberg eBook of The Happy Prince, by Oscar Wilde  
「しあわせな王子」の原書の挿絵(W・クレイン画、青土社刊(「オスカー・ワイルド全集3」より)
 
次男は現在高専の5年生だが、長女は古典課、長男は理数課高校であったのだが、やはりイタリア語(国語)と数学は学課によってレベルが多少違うように思われる。けれど、次男は高専であっても、有難い事に、長い休みの間はもちろん、定期的にイタリア語の本の読書の課題が出る。長男の高校時代こんなに本を読んだだろうか?と思う。
 
そして、日本の学校のように感想文を書かされることはないが、一人一人内容を口頭試問されるのだという。
 
以前は毎回購入していたが、一度しか読まないのならばもったいない。だからといって図書館に自分で探しに行くこともなく、それなら読書家の長女に聞いてみれば?と聞くと、最近は自分でまず長女に聞いているようだった。
 
大抵は長女もしくは長女の彼がその課題図書を持っていて、新たに買わずに済んでいる。
 
今回冬休みで、また本を読まなきゃ、と言っていたのだが、昨夜長女と彼がやって来たので、課題図書を聞くと、彼の方が「ああ、持ってるよ。」ということだった。彼が、我が家に持ってきてくれる、と言ってくれたが、長女は、人にものを頼むのなら自分で取りに来いといった。確かにそうだ。次男は、素直に行く、と言っていた。笑
 
ところで、課題図書は、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』(Il ritratto di Dorian Gray)なのだそうだ。私は読んだことがないが、長女は英語で読んだという。
 
「ママ読んだことないの?」と思わず見下すように?長女に聞かれたが、オスカー・ワイルドと言えば、日本では「しあわせな王子」または「幸福な王子」と題されているが、そちらの方が有名だといった。
 
我が家にも、それの作家の今江祥智氏訳と曽野綾子女史訳がある。
 
長女に見せると、ああ、小学生の頃読んだ!と言っていた。
 
そして、私も思い出して読んでみた。
 
町の中心部に高く聳え立つ自我を持った金箔の王子像が、あちこちを飛び回って様々な話をしてくれるつばめと共に、さまざまな苦労や悲しみの中にある人々のために博愛の心で自分の持っている宝石や自分の体を覆っている金箔を分け与えていくという自己犠牲の物語。
 
幸せなはずの王子が涙を流す。鉛で出来ている心臓なのに、泣かずにはいられない。高いところにいる王子は、町のありとあらゆる醜いもの、悲しいものが見えてしまうからだ。
 
富めるもの、権力を振りかざすもの、そういった世界は今も同じ。貧しい人たちに心を寄せ、最後は自分の目にあったサファイアさえ与えてしまい、盲目となる王子。
 
今の世の中、目が見えていても、自分で目をふさぎ、耳をふさぐ人たちでいっぱい。つまり無関心な世の中だ。

最後は、金箔の剥がれたみすぼらしい姿になった王子と、南に渡っていくチャンスを逃して寒さに凍え死んだつばめが残る。王子の像は、柱から取り外され、溶鉱炉で溶かされたが鉛の臓だけは溶けず、つばめと一緒にゴミ溜めに捨てられる。

時を同じく天国では、下界の様子を見ていた神が天使に「この街で最も尊きものを二つ持ってきなさい」と命じ、天使はゴミ溜めに捨てられた王子の鉛の心臓と死んだつばめを持ってくる。神は天使を褒め、そして王子とつばめは楽園で永遠に幸福になる。

ひょんなことから、子供の童話を手に取ってみた。「しあわせな王子」は子供向けのように思われるが、大人こそ読むべき作品であろう。
 
ところで、次男の課題図書である「ドリアン・グレインの肖像」はこの「しあわせな王子」の出版の4年後に発表され、オスカー・ワイルドの代表作となった長編小説なのだという。読んでみたくなった。(日本語で…)