チャオ、ジョヴァンナ 〜 最上のわざ | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

最上のわざ

 

この世の最上の業は何?

楽しい心で年をとり、

働きたいけれども休み、

しゃべりたいけれども黙り、

失望しそうな時に希望し、  

従順に、平静に、おのれの十字架を担う――。

若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、

人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、

弱って、もはや人の為に役立たずとも、親切で柔和であること――。

  

老いの重荷は神の賜物。

 

古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために――。

おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事――。

こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。 

神は最後にいちばん良い仕事を残してくださる。それは祈りだ――。 

手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。 

愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために――。 

すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声を聞くだろう。

「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と――。

 

「人生の秋」 ヘルマン・ホルベルス著 春秋社 

 

 
聖歌隊仲間のジョヴァンナの葬儀に参列してきた。勝手に86歳と思い込んでいたが、どうも90歳を超えているでしょう?という話であった。
 

彼女の聖歌隊の席は常に最前列の中央側の一番端だった。その彼女の席には、聖歌集とロザリオが置かれていた。

 

先週の日曜日のミサには一緒に歌っていたのに…ずっと思っていたが、主任司祭も同じことを話していた。金曜日の夜に脳卒中で倒れ、そのまま天の神の家へ帰られたそうだ。普段、日本語では「帰天」というが、改めて「神の家へ帰った」と言われると、逆に、これで安心ですね、と言いたくなるのは不思議だ。

 

とても芯が強く、それでいて繊細な方であった。最愛の娘を失くし、その後にご主人。それからの一人暮らしはかなり寂しそうで、パンデミック後はかなり痩せてしまった。それでも喜びの時も悲しみの時も、神を信頼し、教会の仲間を頼り、共に祈った。

 

意外にも親類に笑顔の人が多く驚いたものだが、もう彼女は苦しむことはない。それは唯一の救いだ。

 

閉祭の曲は、彼女が好きだった"Chi ci separerà"が歌われた。

 

 

 
Chi ci separerà Dal suo amore? La tribolazione Forse la spada?
Né morte o vita Ci separerà Dall'amore in Cristo Signore
Chi ci separerà Dalla sua pace? La persecuzione Forse il dolore
Nessun potere Ci separerà Da colui che è morto Per noi
Chi ci separerà Dalla sua gioia? Chi potrà strapparci Il suo perdono?
Nessuno al mondo Ci allontanerà Dalla vita in Cristo Signore
 
誰が私たちを主イエス・キリストの愛から引き離すことが出来るだろうか?
苦難または剣だろうか?
死でも生でもない。
誰が主の平和から引き離すことが出来るのだろう?
迫害、または痛みだろうか?
どんな権力も私たちのために亡くなられた方から引き離すことはできない。
誰が主の喜びから引き離すことが出来るだろうか?
誰が彼の赦しを引き裂くことが出来るだろうか?
世界の誰も、主イエス・キリストの命から遠ざけることは出来ない。


神の愛は永遠。人間の愛とは異なる
使徒パウロによるローマ人への手紙の内容が歌詞になったローマ曲の聖歌隊指導者のFrisinaの曲だ。
この曲を歌うたびにジョヴァンナのことを思い出すことだろう。


永遠の安息をお祈りします。