今朝までの間に朝顔が42輪開花した。
今思えば種まきの時期が遅かったかもしれない。けれど今沢山蔓を伸ばしそこに小さな蕾を持っている。
小さな命。嬉しい限り。
置く方向、高さによって陽の当たる時間帯、強さなどが異なるから、成長度合いも変わってくる。葉の色、茎の太さ...でも花の大きさは遺伝なのか。
こちらは、出遅れたせいで陽が当たりづらくなかなか大きくなれない双葉。
そこで可哀想と思い、植え替えなどしようものなら、うまく育たないことも多々ある。自然界に可哀想という発想は御法度なのだと改めて思う。人間のエゴ。
そこで思い出すのが、故シスター渡辺和子の「置かれた場所で咲きなさい」というタイトルの本。
「どうしても咲けない時もあります。雨風が強い時、日照り続きで咲けない日、そんな時には無理に咲かなくてもいい。その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。次に咲く花がより大きく、美しいものとなるために。」
蔓が伸び自然に近くにある蔓や茎に絡まり伸びていく。それが生きていく力なのだろう。
人間的には、「置かれた場所」は、何も空間的な意味だけではなく、精神や心の部分にも当てはまるだろう。理不尽なこと、不条理な嵐に耐えられるだけのしっかりとした土台を作ることが重要だ。「咲けない日は、根を 下へ下へと降ろす」。いつか大輪の花を咲かせるためにも、その努力は続けていくことが何よりも大切。
花や自然界から学ぶことは多い。







