広島が被ばくした日から77年を迎えた。
それほど昔の話ではない。それでも、現在も「核」で他国を威嚇する国々がある。
こんなに恐ろしいことはない。そしてこんなに虚しく、悲しいことはない。それなのに、なぜ人は過ちを繰り返すのだろう?
ところで、松井広島市長の平和宣言は毎年、心に響くもので、総理大臣の挨拶よりも説得力のあるもののように思えるが、今年もぐっと来た。
>...私たちは、今改めて、「戦争と平和」で知られるロシアの文豪トルストイが残した「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ」という言葉をかみ締めるべきです。....
非常に考えさせられる。
トルストイの名言には、こういう言葉もある。
>よい人間とは、自分の罪をいつまでも忘れないで、自分の善行はすぐに忘れる者のことである。
逆をいえば、自分の罪はすぐに忘れ、善行をいつまでも忘れない人が悪い人間なのだろうか?いや、自分の罪を忘れるというよりも、罪を罪と思わないことが罪であり、自分の主義主張を曲げないことによって、相手を傷つけ、不快にすることさえ気づかない。世の中、そういう人間が多いのかもしれない。
自分の非や過ちは認めたがらず、その逆だと喧々諤々になっている光景はここイタリアでも日常茶飯事だ。相手を認め、赦す。簡単そうで難しい。しかし、なぜ相手を非難するのか?逆になぜそう思うのか自分自身のことを知ることも重要だろう。自分を肯定するのは大切だが、必ずしも自分が「正しい」、その正当性や正義感をかざすのはどうなのか?物事違う角度から見ることも大切であろう。
また、今回初めて小学生によるこども代表「平和への誓い」宣言を見た。
あれっこの少年はハーフかな?と思ったら、ミラノ出身日伊のハーフの小学生であった。
こども代表は、広島市立の小学校に通う6年生が対象。1万人以上の子供たちが作文で応募。彼はその作文の中で、イタリア語の平和"Pace"という言葉を紹介し、戦争の愚かさを忘れないために平和の尊さとそのパーチェという言葉を伝えたかったのだという。
応募した作文は各学校が3点にしぼり、広島県教育委員会に提出。その後400人の作文から20人が選出。6月に行われた意見発表会で大賞を取った2人が今回の代表となったそうだ。その後選ばれた20人で意見をだしあい、それをもとに教育委員会が誓いの言葉をまとめたのだそうだ。
余談だが、彼は幟町小学校ということで、もしやカトリックの幟町教会に通っているのかな?と思ったら、案の定その教会のミサでは司祭の補助をする待者をしているとのことで、3年前のパパ様の来広の際、平和記念公園で開催された「平和のための集い」にも参加していたのだそうだ。
「戦争は人間のしわざせす。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です」聖ヨハネ・パウロ二世が1981年の広島訪問の際、発表した平和アピールの言葉。
改めてしっかり噛みしめたい。
平和とは、政治の問題ではなく、人間の問題として訴えつづけるものであり、暴力を抑えこむために新たな暴力を用いるようでは、本末転倒。人類全体が破滅に向かうだけであろう。
日々の生活の中で、まずは周りの人を思い、しっかりと平和の道を歩めますように。

