復活祭前の四旬節は40日間。そしてその後の復活節は50日間。
それは、主の「復活」の意味を深め、聖霊降臨を味わうために必要な時間でもあるという。新約聖書の使徒言行録(2:1-4)によると、
「五旬祭の日が来て、かれらがみな一緒に集まっていると、突然、天から激しい風が吹いてくるような音が聞こえ、彼らが座っていた家にみち、火のような舌が現れ、分かれて、おのおのの上にとどまった。すると、彼らはみな、聖霊に満たされ、霊がいわせるままに、いろいろの国の言葉で話し始めた」とある。
これが、聖霊の派遣(聖霊降臨)と呼ばれ、教会活動の始まりとなり、特別に祝う。またこの出来事はキリストの復活から50日目で日曜日にあたることから、この日をペンテコステ(ギリシャ語で50の意)とも言うが、いろいろな国の言葉で話し始めたことから、イタリアでは"Festa della Gente"、" Festa del Popolo"ともに、「人民の祝日」という意味になる。
そういうわけで、このミサでは必ず、外国人の信徒たちが引っ張り出されるのだが、10日前にこのミサのお祝いの打ち合わせに出ると、外国人はなんと私ひとりであった。オンラインで打ち合わせに参加した人たちもいたが、そこにやっとエチオピア人が一人いただけ。コロナ禍前は、ペンテコステのミサの後は、昼食会も行われていたが、自粛もあり、今回はミサ後にアペリティフが行われた。
それ以外に、ミサ中の奉納についてや、共同祈願の言語について話し合った。
平和(Pace)の旗とこの夏のオラトリオのリーダー達のTシャツ
共同祈願では、"Signore donaci la pace!" 主よ、私たちに平和をお与えください。という言葉を日本語で唱えた。
日本語で唱えたところで、教会内でわかる人はいないと思うが、個人的には、「主よ、(我ら/私たち)に(平和/平安)を(与えてください/与え給え)。」どうあるべきか?決め難く、日本の信者である友人に相談し、アドバイスを頂いた。
やはり今の日本の感覚では、「主よ、私たちに平和をお与えください。」が良いとのことだった。個人的好みからいえば、「我らに平安を与え給え」ではあったが、違うかな…と思った。いずれにしても何か国語で唱えられたのだろう?知っているだけでも、スペイン語、タガログ語、インドネシア語、ヒンズー語、シンハラ語(スリランカ)、ウクライナ語、アムハラ語(エチオピア)、ポルトガル語、フランス語、日本語…。スペイン語に至っては国籍も豊か。一つのパロッキア(教区教会)でこれほどまでに外国人が多いのも珍しいことだろう。
ちなみに、奉納で、T子、何かできる?と聞かれ、平和を祈るならやはり千羽鶴かな…と思いつつやはり、10日で千羽は無理、というと、100でも200でもいいから…というので、了承した。仕事の往復の地下鉄の中、昼休み、また友人とバールにいる時に折り、そして予定外に連休となったので、最後の二日ほどはなるべく家にいながら作業に集中し、200羽折った。150で十分だ、と司祭に言われたが、ミサ終了後、出入り口で学生たちが配っていたが、思っていたよりも減っていたので、急遽手持ちの50羽を加え、多くの人たちが持ち帰ってくれた。
そのお陰?で今年も夏のオラトリオの折り紙教室に呼ばれることとなった。
やるなら喜んで…。
聖霊の賜物は、父と子を結びつける愛の賜物であり、教会のすべての会員を結びつける賜物でもある、と主任司祭は言った。団結し続ける力を私たちに与えてくださるのもこの聖霊だ。団結は様々な文化や言語でも持続する。聖霊は私たちが自分自身に耳を傾け、私たちが持っている多様性を喜んで、教会の団結の奉仕に置くことを可能にする。
それは、まさに、私たち個人に働き、私たちを慰め、支えてくれたと確信した。それは決して個人の自己満足ではなく、お互いに奉仕することを教えてくれた。教会の交わりと一致の中で、真の喜びを見出す。恵み豊かな一日であった。








