日本の友人知人がFBやブログに多くの桜の画像をアップし、また私に送ってきてくれる人もいた。
やはり日本の桜は最高だと思う。イタリアにも桜は咲くがやはり、何かが違うのだ。
桜散る 残る桜も 散る桜
2年前の父の通夜の際、僧侶が紹介された良寛和尚の言葉だ。
「今どんなに美しく綺麗に咲いている桜でもいつかは必ず散るのです。人生そのものです。」と僧侶はおっしゃった。
つまり限られた「命」なのだろう。わかっていても今でもぐっと来る。
花が咲き終わると、「枯れる」「しぼむ」などの表現があるが、「散る」というのは趣がある。桜が散るのは寂しいが, 美しくもある。父は逝ってしまったが, 私の心には生きている。
人は生まれた時から死に向かい、いずれ私も散る日が来る。それは散っていく命ではなく、美しく咲く命。花の命は短いけれど、満開を迎えるまでは、どれだけ風雨にさらされても、散ることのない桜の花。かよわそうに見えて力強い。流されず、自分の花を咲かせきる。意志のようなものさえ感じてしまう。
ところで、ドラマ「ミステリと言う勿れ」の、あるエピソードの中で、菅田将暉扮する主人公久能整君が外で、雨に濡れながら「山賊の歌」を歌っている男に遭遇する。(思わず懐かしい!と思ってしまった!笑)そこから三好達治の詩の一部が続いて出てくるのだ。
そこで調べていたら、下記の詩「甃(いし)のうへ」に遭遇した。
甃のうへ 三好達治
あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音(あしおと)空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍(いらか)みどりにうるほひ
廂(ひさし)々に
風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃のうへ
語感の美しさから光景が目に浮かぶ。静かながらに、乙女たちの語らいと、足音が空に響き、変わりのない寺の春は過ぎていく。寺の屋根は緑に濡れ、庇には風鈴がたれ、私は一人、石畳の上を歩いていく...。
「もののあはれ」は生命の儚さ、年月の無情さや哀愁の美を感覚的に感じるものではないだろうか?(つまり死生観?)わびさび同様、日本人の心に浸透しているか?といえば、今の時代はそうではないのかもしれない。
私は日本の桜を見るたび、「もののあはれ」を感じつつ、懐かしい思い出も蘇る。
花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは by吉田兼好 (「徒然草」)
目に映る美しさも、心に映る美しさも見えるような感性の人間になりたい。


