今日3月8日は父の命日であった。毎朝7時に目覚ましをかけているのに、6時10分すぎに目が覚め、携帯電話を見ると、弟から『父が亡くなった時間』といってメッセージが入った。母もすぐに、そうね、と入ってきた。日本時間14時12分。
そうだ、2年前、イタリアが初めてロックダウンする直前であったのだが、朝の7時すぎからガタガタ母から電話が入り、帰国の便を探し始めたのだった。あっという間の2年であった。入院し、もしかしたら、あまり長くないかも...と言われた時、すぐ帰るべきだった。けれど、当時イタリアのコロナの状況が徐々にまずくなってきていたので、イタリアから来た?と周りに白い目で見られないか?かなり躊躇したのだった。今でも、帰国したいのに、(高齢の)両親が遠慮してって言うのよね...と言って帰るに帰れないという人の声はよく聞く。
いまや戦争の影響で、どこの上空を飛ぶかで、たとえ予約をとっていてもキャンセルが続き、なかなか落ち着けない。
このコロナ禍、あんな時もあったね...と言える日が来ますように。
そして、今日3月8日は『国際女性の日』。それこそ、3年前まで女友達同士で毎年お祝いをしていた。中でも友人のミモザケーキは絶品で、今年の女性の日には是非行きたいと思っていたが、今日は仕事が20時までで、それから行くにはちょっと厳しいと思い、お断りしていた。
また、その日はショペロ(ストライキ)があるしね...と言われ、なぜ?と思った。普段、ATM(ミラノ交通)のショぺロは十中八九金曜日と決まっていたのに、前回のショぺロはしつこいくらい、車内でのショぺロのアナウンスがあったが、今回は何も言われておらず、半信半疑だった。
地下鉄は8時45分から15時。そして18時からは終日なのか?それともある時間までがショぺロなのか全くわからず。しかし、帰るに帰れなくなり、タクシーは拾えず歩いて帰るには厳しいな...と思い、自転車で怪我をした後、石畳やトラムの通りを自転車で通ることは躊躇していたが、またATMが間引きになる可能性もあったが、万が一のことを考え自転車で出かけた。
話は前後するが、9時に仕事に入り、しばらくすると、大きな音楽と怒鳴っている声が聞こえてきた。シッター先は、ミラノの内環状線近くであるが、長いデモが移動し始めているようだった。その近辺は現在地下鉄工事中のため、道路は狭いし、歩道にはバールなどテーブルが広がっているわ、道路が渋滞してくると、隙間を通り抜けてくるバイクの人たちも抜かすに抜かせなくなってくると、歩道を走りまくるから怖いったらありゃしない!とにかく道路が封鎖されているところも多く、本来左折したくても、大回りに左折しなくてはならないところもある。デモ団はまさに大回りをし、どうもドウモ方面へ(シャレか?)に向かっていったようだ。
このデモは、女性に対する暴力と戦争に対し抗議するものだったそうだ。(イタリア全体で行われた。)
家の中にいて、デモの音楽が聞こえた途端、ツインズ立ちはなぜかサタデーナイトフィーバーかい?といった感じに人差し指を天井に向け、腰を降って踊っていたから笑ってしまった。
余談だが、今日は弟の方は1日お昼寝をせず、また兄もついにベビーベットを飛び越えて逃げ出せるようになってしまった。昨日子供用のテーブルと椅子が届いたが、ママさんの希望とは打って変わって、テーブルの上には上り、椅子は移動させて、あちこち高いものを触っていたずらはするわ、とんでもないことになってしまった。
20時に仕事を上がり、自転車で大急ぎで帰宅。軽く食事をし21時から教会の黙想会に出かけた。
色々ありすぎて心静かに過ごせず。もこんなんじゃまずいね、四旬節。


