チャオ、マッテオ! 〜 永遠の命  その2 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

昨日、ミラノのアンブロジアーノ典礼では、福音箇所はマタイ5章5-13節。「百人隊長」の信仰に関するところだった。

 

百人隊長とは、ローマ時代の歩兵百人を統率する指揮官を意味しており、アメックスカードのロゴは、ずばり百人隊長なのだそうだ。

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この福音は、百人隊長の部下の一人が重い病気にかかり、癒してもらえるようイエスに懇願する、という話。異邦人で社会から疎外されている人を受け入れる大切さを教えてくれている。

 

異邦人とは単なる外国人ではなく、自分とは異なる人。そう言う人をどう受け入れるか?と言うことだ。

 

ミサの説教の中で、司祭は先日帰天した脳性麻痺であったマッテオの話をした。ちなみにマッテオとはマシュー、マタイのことだ。

 

「自ら苦しんだものは、他人の苦しみも理解できる。彼は人に寄り添い、また喜びに満ちた人生を生きた。」司祭は、マッテオの文章を紹介しながら話した。

 

「光からの逃亡」

 

多くの人々は苦しみを恐れている。それは苦しみが何もももたらさないと思い込み、痛みと苦しみを避ける。彼らはただ幸福と喜びを感じたく、苦しみたがらないのだ。その代わりに、苦しみは自分自身や人生について学び、私たちが以前理解していなかったことを理解させ、私たちが幸せで忙しすぎたため、見ていなかったものを見せるよう役立つ。

 

人生は幸せな人生であったほうが良いが、苦しみが来れば、それは非常に悪いことだと思う必要はないが、それは本当に私たちをより良い人間にすることができる。幸福からは学ばず、苦しみから学ぶということは、たとえ苦しみはネガティブな面しか見えなくても多くのことを教えてくれる。

 

私たちを苦しめさせた痛みが止んだら、その痛みに執着し続ける必要はない。人々は時々痛みが人生に意味を与えると思い、痛みに執着するが、実際はそうではない。

 

苦しみは、痛みや他者を残して逃げることなく、最後まで生きなければならない。しかし、それは私たちの人生に意味を与えることができず、ただよりよくあるために手助けでき、人生の意味にはなり得ないので、手放さなければならない。それは進化と光の道具に過ぎないのだ。

 

 

マッテオは非常に哲学的であり、常に思考の人であった。痛みを経験していたからこそ、人に喜びを与えられる人だったのだと改めて思った。

 

彼の永遠の安息を祈ります。