星に導かれて 〜 その2 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

私の代母でもあり、霊的指導者でもあり、母のような存在であったイタリア人のシスターが今日、日本宣教から戻され44年住んでいた修道院からベルガモの養老院へ出発された。
 
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10年前に心臓のバイパス手術を受け、現在はペースメーカーを入れており、薬も数種類、足も痛いとはおっしゃっているが、それでも聖書の会は40年以上にわたり日本人対象に続けられてきたので、日本語が衰えることはなかった。
 
私は長男が幼稚園に入るのを待ってから聖書のクラスに参加し、2年前まで18年続けていたが、コロナで中断。父の件で帰国。現在はオンラインでクラスを行っているが、昨年から仕事を始めたので、参加することができず。
 
過去に聖書における女性に関する研究をしたり、ルカの福音を読んだり、幾つかのテーマをもって聖書に関わってきた。クラスでのノートは何冊あるかわからない。また、聖書にも直接メモを書くので、特にルカの部分は汚なすぎて、新しい聖書を買い換えたくらいだった。この数年はその数日前の日曜日の福音箇所とパパ様のお説教やらアンジェラス(お告げの祈り)とシスターの見解を述べられている。
 
ところで、シスターが在籍されておられた修道院は現在、ミラノで4番目だけれど、既に5番線に先越されてしまった地下鉄工事が続いている路線上にあるのだが、工事が始まった途端、修道院内の壁が落ちたり、亀裂が入ったりと問題続きであったのと、やはり経済面の問題で敷地裏にある養老院は、隣接している病院に吸収され、修道院も老朽化ということで、今後どうなるのかは知らないが、高齢者であるシスターたちが別の施設(つまり養老院)へ分散していくことになり、現在87歳でおられるシスターも候補に上がってしまった。
 
はじめは、受け入れるのが困難だったようで、皆の前で発表するのさえ、拒んでおられたが、徐々にそれも神様のご計画と納得されたそうで、静かにその日を待っておられたようだ。
 
先週の日曜日、本来は日本人ミサが行われる予定だったが、コロナのため急遽キャンセルとなり、オンラインで集おうとしたが、司式司祭は不参加だったため、急遽シスターに講義をしてもらうことになり、既にすぎてはいたが、「主の公現・エピファニア」に関する話があった。
 

「東方の博士たちはベツレヘムへと旅しました。彼らの旅は、人生の空を照らし、真の喜びへと導く星です。イエスに向かって歩むようにと、私達にも呼びかけています。星を見て出発する。新しい地平への郷愁。信仰の旅です。私達も、東方の三博士のように、頭を上げ、心の望みに耳を傾け、神が輝かせる星を追って行きましょう。絶えず追求し、神が与える驚きに心を開き続けましょう。夢を追い続け、探し求め、礼拝しましょう。」

 

そして、常に祈ることを教えてくれたシスター。「パンデミックの中にも光があります。そのパンデミックである時こそ、兄弟であり、助け合う。遠い国でパンデミックと戦う力がない人や、具体的なことができなくても、その人のために祈りを捧げることはできるのです。その祈りの力を信じましょう。」と言われた。

 

出発には駆けつけることができず、友人が画像を送ってきてくれたが、その場にいたら、きっと涙が止まらなかったかもしれない。決してこの世を去られるわけではないので、そこまで残念がることもないし、会いに行こうと思えばいけるだろうが、どうもシスター及び、シスターのおられた場所は、私にとって「心の安全地帯」であり、行けば会える、そういった気持ちが常にあったことに気づいた。それがちょっと寂しいのだ。

 

「(ご)自分の歴史の中で、日本人との関わりは常にそれを占め、今後も続きます。神様に呼ばれるまではそれも可能でしょう。」、とメッセージを頂いた。私は時間的に無理なのだが、聖書研究も養老院からオンラインで続けられるそうだ。それは良かった。

 

そうしょっちゅうは出かけられないが、また暖かくなり、コロナも落ち着いたら、養老院のシスターに会いに行きたいと思う。

 

私達は常に同じ星に導かれている。博士たちのように、歩み続けていこう。