リーダーシップとカリスマ性 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

今は昔、竹取の翁といふものありけり。 

 

...って本文には全く関係ないが、クリスマス前に友人とアペリティーボをした。毎年クリスマスイブの前日に、ある友人宅に集まるのだが、今回は運河地区のカフェの外の席で会った。(前置きは長いがクリスマスの時期の話など、今や既にもう昔のように思われるという事)

 

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会話のなかで、(人の上に立つ立場の)「カリスマ性」という話題になった。実は、その内容がその日からずっと脳裏から離れなかった。

 

以前「カリスマシェフ」、「カリスマ美容師」、「カリスマ店員」などなど、さまざまな業種のなかで、第一線で活躍する人気のある人たちを「カリスマ⚪️⚪️」と名付けて、一世を風靡した。

 

デジタル大辞泉で「カリスマ」を調べると、

1 《ギリシャ語で、神の賜物の意》超自然的、超人間的な力をもつ資質。 預言者・ 呪術 じゅじゅつ 者・軍事的英雄などにみられる、天与の非日常的な力。

 

とあった

 

「カリスマ」”charisma”の語源は”ギリシャ語の「カリス」。「恵み」「恩恵」という意味だそうだ。つまり、「人に恵みをもたらす」のが、「(人の上に立つ立場の)人の役割」ということか?

 

しかし、上司や指導者などが必ずカリスマ性があるか?といえば、そうではないだろう。逆にそれは稀かもしれない。カリスマ性がなくても、チームをまとめ、成果を上げることのできる優れたリーダー的存在はたくさんいる。

 

リーダーシップというと、大胆で非凡であり、「強い」存在のイメージがあるが、まわりへの気づかい、観察力、そしてコミュニケーション能力、そういったものが重要なのではないだろうか。

 

過去にボランティア団体に所属していた際、毎年、チーム・ビルディングが行われていたが、最終的に、人との関わり合いは、他者を受け入れ、受け入れられて、つながること。時に、たるみ、時に突っ張り合うが、断ち切らないことが大切。他者を認めることは、自分を認めることでもある。(その逆も言えるが...)と学んだ。 

 

この年末年始、あまりにも考えることが多く、そのどれもが、堂々巡りで頭の中が整理できていなかった。が、いきなり、ストンとひらめいたというか、納得したことがある。

 

どの問題も、対人間の場合、その相手を「役割」だけで見ていた気がする。それを「一人の人間」としてみた時、はじめて共通の目標や理想を確認し合えたり、お互いに情報や支援を求められると感じた。

 

つまり、謙虚さというのは、ちょうどよいバランスを生むように思える。

 

探究心を忘れず、そして謙虚に。決して偉そうに見えない。意外にそういう人が大物なのかもしれない。