年内最後の空手の稽古に出かけて来た。
コロナ禍もあり、今年の5月に1年2ヶ月ぶりに稽古に復帰。また、このコロナ禍で初段審査が延び、オンライン稽古も受けず、道場が開くのを待っていたので一緒に昇段するはずだった仲間よりかなり遅れをとり一人での昇段となってしまった。
今年の私の目標は「初心」であったので、心がリセットされての審査であり、その後は、以前のように週に何度も稽古には出られてはいないが、探究心だけは変わらない。
また、今年の月心会イタリア本部でのモットーは「遊戯三昧」(「ゆげざんまい」)であった。嫌なことでも、やることそのものを楽しむという意味があるが、何よりも空手は修行。己の向上を目指し、一生歩み続けるものだからこそ「樂」しみながらした方が良いのだ。
相変わらず、膝痛というよりもふくらはぎが硬くなりやすく、マッサージは欠かせられないが、それでもどうしたら、膝に来ないか、対処法は自分なりに分かってきたような気がする。
腕の力が弱く、腕立て伏せが苦手だったが、最近では仕事中、体をかがめると、待ってました!のごとくツインズが乗ってきて、ロデオごっこ(?どういう遊びだ?)やら、そのまま腕立て伏せもどきも楽しいようで、普通の腕立て伏せが楽に深く伏せられるようになってきた!50代にして、この体力すごいだろう?爆
ところで先週から、金曜日クラス、土曜日クラスの年内最後の稽古に出、そして本日の本当の稽古納めはさすがに、疲れもたまり、きついかな...と思っていたが、大人の上級者のみ少数の参加だったので、普段とは違った空手として基本的な技術面の話や実践をした。1時間ではあったが、非常に有意義な時間であった。
前からそうではあったが、最近は黒帯の仲間と誰かしらしょっちゅうチャットをしており、そのほとんどがイタリア人なのだが、ある型がどういう流れでできたか、また他流派との違いなどを語り合い、またビデオ精査....探究心の深い仲間との空手談義は楽しい。笑
ところで、以前も書いたが「鍛錬」という言葉は、宮本武蔵の「五輪書」の中で「千里の道もひと足宛はこぶなり。千日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって錬とす」と言うところから来ている。
来年度の千本突きに掲げる目標を提出したが、やはり空手で大事なのは稽古をすることだ。1日最低3回でも型を打てば、年間で千回は打つことになる。それを5年、10年続ければすごい数になる。もちろん実際はその数倍も打っていることだろうが、無理のない目標は大事だ。
「型」を日々繰り返し鍛錬することによって、体力、忍耐力、精神力は確実に鍛え上げられる。
個人的には、武道というものに「目標」も「目的」も存在しているかどうかわからないが、『「今、ここ」にいる』と言う、存在、そしてそのプロセス自体に「無」で集中すること、「無」で探究することに意義があるように感じられる。
そして、どう進むかは自ずとその自分の「ステップ」で決まるような気がする。
慌ただしい一年であった。稽古に出られなくても空手に対する思いは常にあった。
来年は何かとイタリア本部は変革の年に当たり、どうなるかわからないが、信念を持ち、また楽しみながら進みたいものだ。

