クリスマス 2021 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。




 

 

在ミラノのカトリック日本人会では早くもクリスマスのお祝いが開かれた。

 

ミサの前に久々ゆるしの秘跡にあずかった。やはりこれは日本語でしないとしっくり来ない。

 

仕事を始め、特に12月に入り、忙しすぎて心が荒れているな...と思う今日この頃。司祭との雑談の中で、マリア様のお姿を思い描き、謙遜に...。忙しい中、なんだかんだ何事もこなしていける人もいれば、逆に思うようにできなくて苦しんでいる人もいます。頭が固く、融通が利かない人がいても、共に歩む。そういう姿勢が大切であり、恵みが与えられるのです。...というような話を聞き、目からウロコ、と思った。どうしても、自分のペースで走りきってしまう。助っ人もいらない。それでは個人主義に陥ってしまうことだろう。

 

ふと、最近のドラマである「スナックキズツキ」を思い出した。日々の暮らしで皆、傷ついたり、傷つけ合っている。小さな気遣い、小さな我慢が膨らみすぎて、急に心がしぼんでしまったりするもの。誰かが寄り添うことで乗り越えられることもあるのだ。

 

ところで、数日前、フィリピンで大きな台風による被害があったことを、地元教会のフィリピン人シスターから聞いた。特に、今ナポリにいってしまった、シスターJが生まれ育った島は一番被害が大きい、ということを聞き、早速そのシスターに「今日、日本人ミサでフィリピンに向けてお祈りをしたいと思う。私たちは皆さんと一緒です。」と書いた。すると、夕方には返事がきていた。

 

「全てが破壊されても、家族が生きていて良かった。」「苦しむ人々もあの風や海のなか生き延びて良かった。」復興のためにまず命ありき。前向きな言葉が胸に響いた。

 

考えてみれば10年前の東日本大震災の時、たとえ私が日本にいなくても、「自分たちはあなた方と共にいる」とフィリピン人達の祈りに支えられた。

 

直接的に何が出来るかは別として、誰かのために祈ることの大切さを思い出させてくれた。

 

ミサ後はささやかな持ち寄りパーティー。人数も少なく個人まりしていたが、歌ってプレゼント交換。ミャンマーにいる里子に送るお金が足らず急遽バザーをし、編みためていた手袋やバッグを出したら、瞬く間に無くなった。足りなかった金額もカバー出来た。

 

 

 

同じ教会のエチオピア人の友人、親子3代を招待した。高校の英語の教師をしている友人は大学で日本文学を専攻していたので、数年前から日本語ミサに誘っていたが、一度は来れず。その後コロナ禍によりミサがなかったので、初めて来れた。お御堂も、人々も料理も全部素晴らしい‼︎ 家族三代で喜んでくれていた。

 

色々な理由でこの素晴らしいマリアバンビーナ(幼きマリア会)でのミサも来年1月をもって終了。食事会は今回が最後であった。私自身20年近く通った修道院だ。ミサ中も美しいお御堂に見惚れていた。聖歌がお御堂内に響き渡る。友人はその美しさに鳥肌が立ったと言っていた。

 

思い出の詰まった修道院。そして仲間たち。

 

素晴らしいひと時を過ごせた。

 

又フィリピンで亡くなられた多くの人たちのために祈りましょう。家を失った多くの人たちが希望をもって、前進できますように。