毎日が良い日、という意味なのか?と捉えていたが、良い日かどうか、それは人によって捉え方も異なることであろう。
例えば雨が降って困る人もいれば助かる人もいる。何を中心に考えるか、どう受け止めるかによって一つの物事の意味合いが変わる。
先日、あるイベントで屋台を出していたが、1日雨の予定で人の出も悪かった。午前中は奇跡的に持ち耐えたが、午後はいきなり雲行きが悪くなりゴロゴロ言い始めたかと思うと瞬間的に強い雨が振り出し、止んでは曇り、一瞬晴れ間が見えるがまたゴロゴロ...もう閉めようよ。
結局予定よりずっと早く閉めて帰ったのだが、雨が降り出すたびに、イエーイ!と言って雨の中に飛び出して行く友人のお子さんの姿を見て、本来なら濡れる事を躊躇するのに大喜び。ああ、子供心は忘れちゃいけないな、と感じた瞬間。
とは言っても、こういった言葉もある。
災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候 by良寛
さすがに、災難や病気に遭った際、素直に受け入れる事は難しい。しかし、どうであれ、その災難の中を生き抜く事が大切で、慌てて、泣いて叫んで大騒ぎしても仕方ない。腹を決める。つまり覚悟が必要なのだろう。災難の中から普段の生活の中のありがたさを改めて知る事も多いと思う。
結局、「日々是好日」は「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候」に通じるのだろう。そして、それは「いま、ここ」by 相田みつを
いま、ここ。それ以外、 命の生きる場はないという事。
いま、ここを真剣に、一生懸命生きる事で、その先につながるのだ。
日々是好日。
今日という日は、晴れであっても雨であっても、二度と繰り返しのできないかけがえのない日。虚しく過ごす一生よりも、生きる意味、使命を見出し、一瞬一瞬を尊び過ごしていきたい。
