死んだ女の子 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

(影絵:藤城清治氏作)
 

 

I come and stand at every door 

But no one hears my silent tread 

I knock and yet remain unseen 

For I am dead, for I am dead. 

 

I'm only seven although I died 

In Hiroshima long ago 

I'm seven now as I was then 

When children die they do not grow. 

 

My hair was scorched by swirling flame 

My eyes grew dim, my eyes grew blind 

Death came and turned my bones to dust 

And that was scattered by the wind. 

 

I need no fruit, I need no rice

Ineed no sweet, nor even bread 

I ask for nothing for myself 

For I am dead, for I am dead. 

 

All that I ask is that for peace 

You fight today, you fight today 

So that the children of this world 

May live and grow and laugh and play.

 

『死んだ女の子』は、トルコの詩人ナーズム・ヒクメットが1956年に発表した詩なのだそうだ。

 

広島で原爆の劫火に焼かれ、7歳のまま年齢が止まってしまった少女。灰になって、果物も、ご飯も、お菓子もパンも要らない、私は死んでしまったから。子供達が笑って遊んで成長できる平和な世界を求めるだけ。

 

この詩は何ヶ国語にも訳され、世界で歌われるようになったそうで、日本語でも幾つかのバージョンがあるという。
 
2005年、敗戦60年の際、日本語フォークバージョンを元ちとせさんが坂本龍一さんの編曲でカバーしてネット配信。
(とはいえ、海外なので聞けない😭)

 

上記のカバーはこちら。(カバーのカバーのカバーか?)

 

 

ところで、新型コロナウイルスの感染拡大によりオリンピック開催を巡っては、国民の賛否は割れたが、そのオリンピックも最終日を迎えようとしている。
 
開催中も無観客だったとはいえ、感染者は増加しており、またワクチン接種に関し人々の感情は複雑なものだと思うが、とはいえ、オリンピックが開催され、オリンピックに人生を賭けた人々の努力に努力を重ね、逆境を乗り越え、常に前を向き歩んできた姿から学ぶものは大きかった。そして感動も沢山あった。
 
しかし、日本人としては忘れてはいけないものがある。
 
今年は被爆76年。
オリンピックであろうとも、せめて黙祷はして欲しかったと思う。
 
オーガナイズが大変とはいえ、世界平和のためにすべきだったのではないだろうか。少なくともオリンピックは「平和」の祭典なのだから。それだけが心残りである。