今日は何の日?! 〜 7月14日 「検疫記念日」 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

今日7月14日は「検疫記念日」。1961年に厚生省(現厚生労働省)と日本検疫衛生協会が制定したそうだ。

 

この記念日は1879年(明治12年)のこの日、日本初の伝染病予防の法令である「海港虎列刺(コレラ)病伝染予防規則」が公布されたことに由来している。

 

豪華クルーズ船ダイアモンド・プリンセス号が新型コロナウィルス騒動のために横浜港の沖に停泊させられていたのは、わずか昨年の2月初めのこと。それが数年前の話のように感じられてしまうのは私だけだろうか?

 

同年1月25日に香港で下船した乗客の1人が新型コロナウィルスに感染していたことが2月1日の深夜に判明し、当時寄港していた沖縄県那覇市で行われた検疫は無効とされ、2月3日横浜港着岸前に再検疫となった。乗客は船内の部屋に隔離されたままだった。

 

ところで、パンミック(汎発流行)の歴史は長く、人が行き交うにつれ古代ローマ時代、中世前期と後期に徐々に感染症が範囲を広げ、ルネサンス~大航海時代においてパンデミック化していった。

 

日本のコレラの場合、日本が開国し、多くの外国人が長崎以外に上陸するようになり、感染症は大きな問題となった。

 

開国前からコレラが発症する事はあったそうだが、長崎奉行所が出島で、オランダ人や中国人の身体検査をしたり、箱根の関所で食い止めることが出来たので、コレラが西日本で流行しても江戸に入ってくる事はなかったと言う。

 

しかし、箱根の関所が廃止されると、2-3年後にコレラが日本中で大流行となった。ある意味、それは仕方ないことだ。。現代は皆自由に旅行が出来るから一気に世界拡散されるわけだ。

 

話は基、特に手足が壊死し、全身が黒いあざだらけになって死亡することから「黒死病」とも呼ばれたペストは、14世紀からヨーロッパに流行していたが、1576年にミラノを襲った時は、当時のミラノのカルロボロメオ大司教は病人を見舞い、慰め、自分の財産をすべて彼らに捧げた。

 

だから、ミラノの街のあちこちには聖カルロを祀る像があるのだが、これは、ペストが流行中、クワランテーナ ”Quarantena"と呼ばれた「検疫」期間中家から出ることを禁じられていた一般信者のために、ミサ聖祭をあげた所といわれている。

 

その、クワランテーナ(英語では”quarantine”)とはイタリア語の「40日」を表す。

 

それは、外国から船が入港してくる港では、乗客の健康面を調べる以外に、停留させながら、消毒、廃棄などを含む防疫措置一般を施行する衛生上の危機管理をさすものであった。

 

余談だが、キリスト教にとって、「40」と言えば、ノアの方舟の洪水(40日)から、出エジプト記での放浪の旅(40年)、モーセの「十戒」を授かる際に行った断食(40日)、イエス・キリストがエルサレムに入城する前に荒野での苦行(40日)...と思い出すことが多い数字だ。ちなみに私の洗礼も40歳の時であった。

 

そういえば、ドラマ「仁」では、コレラのことを、「コロリ」と呼んでいたことを思い出した。

 

ドラマでは医師・南方仁演じる大沢たかおが、「みなさんそれぞれが予防コレラを倒す方法を心がけることで、コレラを早くやっつけることができるんです。ご協力よろしくお願いします」と呼びかける。

 

しかし、仁もコレラにかかってしまい危険な状態に陥るが、乗り越えて復活したシーンでは、その知らせを聞いた坂本龍馬(内野聖)が「夜が明けるぜよ。夜が明けたぜよ!」と朝日を見ながら叫び、その後、仁のナレーションで「こうして俺は生還し、それからまもなくして江戸を焼き尽くすかに思えたコロリの火は急速にその勢いをなくしていった。隔離と予防が感染を弱めたようだった」と語られた。

 

流石ドラマながらの綺麗な流れだが、隔離と予防(消毒、マスク、人との距離感)は今も一緒。感染予防には必須だし、現在では賛否両論あるもののワクチン接種も重要な行動だろう。

 

ドラマの台詞にあった、「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉は心に響いたものだ。

 

私達も当たり前のことだが、それぞれが予防を心がける、これは常に忘れては行けないこと。