二つの死 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

先日二人の死について書いた。

 

実家近所のおばあさんの死は、母の話によれば、実は近所の人から異臭がする、という訴えで警察が入り、すでに亡くなって数ヶ月が経っていたようだ、という事だった。新聞配達をしている知人の話では、身寄りがなかった、というが、だって近所のマンションに妹さんが居たと聞いたし、実際見かけたことあるよね?昨年救急車で運ばれる時も、甥っ子さんらしい人が付き添っていたよね?と母と話したのだが、きっとその方も何かの理由で連絡が取れない状況だったのかもしれない。

 

たまたま昨日読んだ日本のネットの記事でも、年取った両親が二人して家で亡くなっていたという連絡を警察から受けた、という息子さんの話を読んだ。父親はお風呂で心不全を起こし、溺死。母親はきっとどこかに電話をかけようとしたところで絶命したのか、コードがだらんと下がり、書類が散乱していたという。時がそこで止まっている状態を想像するだけで切なくなる。

 

ところで、2日前に亡くなられた同じアパートのおじいさん、アンドレア・通称リーの葬儀に参列して来た。

 

リーは元々心臓に問題がありピースメーカーを入れており、数年前新しいものを入れ替えたばかりだった。ここ数年腰のヘルニアが悪化し歩けなくなり、色々リハビリをしていたが、そこでまた大腸に腫瘍らしき物も発見。どこから手術をするのか、今年に入ってからは検査入院の繰り返し。その日の夜7時まで家族と電話で話していたようだが、急に心臓が弱り始め夜中に息を引き取られたという。

 

三女のパオラから葬儀の予定がメッセージで入っていたので参列するつもりでいたが、その前に二度目のコロナワクチンの予約が入っていたので、それが終わり次第の参列のつもりだったので、敢えて同じアパートの人たちには連絡をしなかった。

 

すると、前夜、リーの奥さんであるグラッツィエッラが葬儀で歌ってくれないか?と電話依頼が来た。主任司祭はT子は来ないのか?来れば二人で、でなければ一人で歌うから問題ない、とは言っているのだけれど...と言うことだった。ワクチンの件は伝えたものの、喜んで!と答えた。

 

普段私は、日曜日の朝のミサに間に合わないと、夕方のミサに出るが、その時は、聖歌隊はおらず、オルガニストが一人しかいないので、大抵主任司祭と二人で歌うことが多いので、司祭との相性は問題ない。笑

 

結局、二度目のワクチン接種もスムーズに行き、余裕を持ってパロッキアに到着。グラッツィエッラが教会前にいたが、他の家族は見当たらなかった。

 

イタリアの教会での葬儀は、非常にカジュアルで、色のシャツにジーンズ、スニーカーでもまったく問題ない。喪主がスーツどころかネクタイさえしていないことが多く、逆に黒づくめで行ってしまうと浮いてしまうことさえある。そのため、今日は白のTシャツに紺系のスカートを履いて行ったが、それで十分であった。

 

司祭はCovidの関係上、家族は構わないが、なるべく距離をあけて座るよう初めにアナウンスした。私は通常どおり祭壇脇に座ったので、お御堂がよく見えた。7月に入り、しかも週末で参列者は少ないかと思ったが、意外に多く、近所の方がちらほら見えた。それもリー夫妻のお人柄故だろう。

 

葬儀ミサでの聖歌は、大抵決まっているが、聖体拝領の時は、司祭は歌って回れないから、私が一人で歌わなくてはならないので、知っている曲を歌って構わない、ということだった。私が選んだのは、”Quando bussero’ " 「私があなた(主)の扉を叩く時」、という意味の曲だ。

 

あなたの扉を叩く時、それは長い道のり、足は疲れ裸足。手は白く、純白のようだ。おお、私の主よ。

あなたの扉を叩く時、果実を持っていくだろう。痛みの籠に愛の房。おお、私の主よ。

あなたの扉を叩く時、多くの人を愛し、友に再会し、また祈る相手にも会うことだろう。おお、私の主よ。

 

 最後の部分は「祈る『相手』」と訳したが、イタリア語では「敵」と言う”nemico”の複数形である”nemici”とある。 決して戦うべき相手ではなくても、誰でも相容れない相手というのはいるはずだ。好きになれない相手に対しても、許すことの出来ない相手でも、主の国に入るのならば、その人のために祈れるものでありたい。

 

歌っていて、父の存在も重なり、涙で歌詞が見えなくなった。

 

死は悲しいが、この世にいなくなっても人の心に残り続ける、生き続ける。それが生きた証だろう。

 

葬儀が終わり、皆で棺を拍手で見送る。大抵家族も火葬場に同行するが、司祭と共にお御堂遠消毒し、外に出ると、参列者たちは名残惜しんで雑談をしていた。

 

そして、意外にも皆笑顔だった。家族は火葬場には行かずリーの家に行き、グラッツィエッラを囲み午後を共に過ごしたようで、わいわいひ孫たちの声が外から聞こえて来た。そういえば、ミサの葬儀中にも赤ちゃんの泣き声がしており、普段リーを囲む風景のように思われた。

 

後からパオラからのお礼のメッセージが入った。「ありがとう。本当にいい式だった。パパも喜んでいると思う。」私も父との思い出が重なり、胸がいっぱいだったよ、と返事をした。

 

多くの人に見守られながら亡くなろうが、外出先で突然死しようが、死後、数日経ってから発見されようが、同じ「死」であることに変わりはないのだが、今週身に起きた二人の、というか二つの死は、比較すべきものではないが、生きる証について考えさせられるものでだった。

 

亡くなる「瞬間の状況」よりも死の瞬間を迎えるまでの最期の「道筋」。それぞれの人の人生において重要なのではないだろうか。とはいえ、死に至る終末期において、自分らしく納得する生き方ができた人は、死の「瞬間」がどのような状況であれ、人生を生き抜いたという意思が周囲の人たちにも伝わる。

 

彼らのために祈ります。