最上のわざ ~ その4 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 
今週知り合いが2人お亡くなりになられた。
 
片や孤独死。日本の実家の近所の方だが、自宅で発見され、大勢の警察が来ており、ご遺体が担架で運ばれるのを母はばっちり見たと言っていた。多分90歳を超えていたと思う。気づいた時は、20数年前、離婚したのか、死別したのか、それとも生涯独身だったのかわからないが常にお一人だった。だからお子さんがいるかどうかもわからないが、ある時、おばあさんよりずっと背は高かったが、瓜二つ、サザエさんに出てくるフネさんのような出立ちの方と一緒のところを見かけたことがある。妹さんが割と近所のマンションに住んでいるという話だった。(余談だが、サザエさんの物語の設定上、フネさんは52歳。波平さんは54歳と聞いてショックを受けたものだ。じゃあ私もバアさんかい?)
 
昨年帰国中、そのおばあさんが偶然救急車で運ばれるのを見かけた。自宅で転倒、骨折。その時は5-60歳の甥という人が付き添っていた。ゴミ捨てや買い物など手伝うわよ、と近所の同級生の母親が民生員をしているので、声をかけたそうだがピシャリと断られたそうだ。絶対人には世話にはならぬというプライドが高かったんだなあ。
 
また、母のところに来るケアーマネージャーさんに担当しているいろいろなお年寄りのケースを聞いており、近所のおばあさん、なんとかならないものかしらね?と尋ねたが、本人が希望しない限り何も手出しは出来ないのだと言っていた。逆に時間構わず年がら年中電話をかけてくる人もいるようで、ケアーマネージャーという仕事は好きじゃなきゃ出来ない仕事だなあと思ったものだ。
 
そういう意味では、亡くなられたミラノの知人は、同じアパートに住むおじいさんで80代後半、4人子供がおり、孫は9人。ひ孫も4人。家族が彼を支え、そして奥さんの心の支えにもなっているようだったが、それでも奥さんはげっそり、笑顔は消え、私や夫にも車椅子を運ぶ手伝いが出来ないか?と電話してくることもあった。
 
これまた余談だが、7、8年前に彼らの結婚50周年に孫の結婚式が重なり、結婚式と祝宴会に招待された。我が家の子供たちはそのおばあさんに自転車の乗り方を教えてもらった。次男が生まれ長女の習い事の送り迎えができなかった時、当時高校生の孫にアルバイトとして頼んだり、子供達の洗礼の代父母を頼んだり、と何かとお世話になった方達だ。
 
私の父の時を思えば、母は一人で抱え込み、無理した分、体が曲がってしまったりその支障が後にどっと出てきてしまったんだよな...と思う。日本人は比較的ヘルプを自分から出すのが苦手なのかもしれない。
 
ところで、お年寄りが亡くなられるたびにホイヴェルス神父による詩「最上のわざ」を思い出す。
 
>老いの重荷は神の賜物。
>おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事――。
 
私の代母であるシスターマリアは、現在86歳。毎日一滴ずつ滴が落ちていくと言っている。命の滴なのだろうか?
 
人間は、生まれた時点から死に向かって生きて行く。だからといって初めから死を意識する人はいない。晩年に近づいてくると何気に意識し始めるのか?または身近な人の死を経験し、意識するのかもしれない。とはいえ、いつが自分の晩年になるかは誰もわからない。

 

そして、人の死に接するたびに自分に与えられた使命とはなんなのだろう?と考える。

 
そういえば、そして蓮の花は咲く時に、ポンッと音がするそうだ。また、先日亡くなられたエリック・カールの「はらぺこあおむし」の卵からあおむしが生まれる時もポンッという音がすることを思い出した。
 
では、命を閉じる時はどうなのだろう?
 
天体が寿命を迎え一生を終える時、今までで最も大きな爆発を起こし光を放つ超新星という現象を起こす。
 
自分自身を燃やしエネルギーに変え光り続け、全てを燃やし尽くして死ぬ、その時に最も輝く。それは人間も同じなのかもしれない。
 
試練や身近な人の死によって心にぽかりと穴が開くことがある。その開いた穴を覗くことで、その時まで気づかなかった他人の愛や優しさに、気づくこともあると父の死を通じて知った。
 
偶然にも今日は父の月命日だった。

最上のわざ
 

この世の最上の業は何?

楽しい心で年をとり、

働きたいけれども休み、

しゃべりたいけれども黙り、

失望しそうな時に希望し、  

従順に、平静に、おのれの十字架を担う――。

若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、

人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、

弱って、もはや人の為に役立たずとも、親切で柔和であること――。

 

老いの重荷は神の賜物。

古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために――。

 

こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。 

神は最後にいちばん良い仕事を残してくださる。それは祈りだ――。 

手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。 

愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために――。 

すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声を聞くだろう。

「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と――。

 

「人生の秋」 ヘルマン・ホルベルス著 春秋社