半ドン 〜 その2 オラトリオ | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

シッター先の家族は結局週末まで郊外の家で過ごすことに。よって私は再び半ドン。

 

さあ、何しよう?

誰誘おうか?

 

そう思っていた矢先にオラトリオのお誘いが…つまり夏休みの子供達のサマースクールのボランティアとしてお呼びがかかった。

 

ここ数年外部からやって来て仕切り始めたシスターが、ダーッとプログラムを書いてきて、どう思う?とのお伺い。そのシスターのどう思う ?の時は絶対断れない。どう思う?イコールお願いね。苦笑

 

早々に司祭から声はかけられていたが、仕事があるので、と断っていた。しかし、具体的に言われたその日の時間帯はぽっかり空いているではないか⁈!あちゃー。爆

 

ところで、ホワイトゾーンになったロンバルディア州であるが、オラトリオはいまだに人数制限があり、ミサ後同様、徹底したアルコール消毒が行われている。そういう意味では、いつもごちゃごちゃ物が溢れて整理整頓がされていないオラトリオも綺麗になっており、安心。

 

知らないうちに、オラトリオ関係のグループWhatsAppができており、私もグループに入れられており、毎日何をやった、次回の教材は何が必要...と連絡が来る。「私は、折り紙をすれば良いのですか?」と聞くと、「好きにしてよい」と一言。絶大なる信頼か放任か?


余談だが上記シスターは現在77歳。ミラノでも指折りの成金ではなく、良家の子女たちが通う学校の高校のイタリア語教師であったシスターは見るからにしてスパルタ教師。それでも卒業生やら卒業生の両親からは絶大なる尊敬を集めていて、次から次へとボランティアを集めてくる。

 

前夜サンプルをうとうとしながら作成。

 

ラボラトリオ開始10分前にオラトリオの門に集合。今年の責任者である学生が鍵を開けに来た。教室入りし、時間になるとリーダー達が児童たちを連れてくるので、リーダーの一人が子供達一人一人の手にジェルで消毒させていくので、私が子供達を席につかせ、何をするか?どういうものなのか?説明をしてからはじめるように、ということだった。

 

ラボラトリオは毎回2つあり選択制。送られてくる画像によれば一つのグループは8人くらいであった。

 

通常だと一度に5-6人までは折り紙を教えられる。これが日本人の児童生徒だったら皆上手に出来るだろうが、イタリア人や外国人の子供たちは常に、指先の訓練が全く出来ていないという差を毎回感じる!だからこそ、シッター先のツインズ達には今から、指先のトレーニングで広告を遊びながら切らせているが、切ると口元に持っていってしまうから大変だ!

 

今回私のラボラトリオには小2-4(7-9歳)の子供18人プラスアニマトーレと呼ばれる高校生のリーダー達5人が参加。リーダー達は彼らの小学生時代から知っており、そのほとんどが我が家の次男と小学時代のクラスメートだった。

 

ゲっ、こんなに? コの字型に並べられたテーブルは外側は子供達。内側はリーダーたち。全て間隔が置かれて並べられている。この状態で教えるの?今回「鶴」と「短冊」を折り、その短冊に願いを書いて糸を通すという作業と時間が余ったら家に折り紙がない場合はこうするんだよ、と教えるためにカラーのコピー用紙も持ち込み正方形の作り方を考えていたが、1時間で出来るか〜?不安になった。

 

入ってきた子供達はいきなり走り出し好きな席を取り始めた。様子を見に来たシスターは、順番に座らせなきゃダメでしょ!と私に言うが、そうそう言うことを聞く子ではなく、内側に座る子、本来私が教える場所を陣取って微動だにしない子さえいた。鶴と短冊の意味を説明し、出来上がったら写真を撮り、時間になったら子供達は外へ出し、掃除して終了するように、という。えっ全部私がするの?教えるだけじゃないの?口出しする間を与えてくれない。

 

「みんなー、静かにして!私はT子と言います。」というと、早速「チネーゼ?(中国人)」と聞いてくる子がいた。「似て見えるかもしれないけれど、私はジャポネーゼです。この中で折り紙を一度もしたことがない人、手を挙げて!」というと、そのほとんどが手を挙げた。えっ嘘!

 

とにかく時間がない。鶴から始めたが、まあ始めの三角、三角までは良かったものの、そこから開いて潰して正方形に折るのが皆全く理解できない。「コメ〜?(どうやってやるの?」とあちこちから声があがる。リーダー達には以前教えたことがあるのだから、わかるよね?わかる人達は、率先して回ってみてあげて!といっても、なかなか自分から動く子がいない。数人ずつ見て回り、一周すると、次のステップに進む...という繰り返し。

 

あるところから、「コロナウイルス!」という声が聞こえた。私は聞き逃さなかった!「ダレ?今コロナウイルスといった人は?私に言ったの?まずはあやまって頂戴!それは偏見であって、そういうことを言われると、皆嫌な気分になるの。自分が言われたら嫌だよね?そういうことは絶対人には言ってはいけないこと、わかるよね?」その子は返事をしない。「わかるよね?」謝ることはなかったが、人の気持ちは教えなきゃいけない。きっと親も周りも教えないできてしまったのだろう。少なくともオラトリオに来ているのだから、差別も偏見もあってはいけないのだ。

 

毎回子供達に折り紙を教えて思うのは、折り紙が好きで上手な子は、やはり手先が器用だということ。日本だと幼稚園生くらいから折り紙をしているが、イタリアでは指先を使うことは少ない。なので、手のひらで折り紙を折るというよりは叩く子もいて驚いたことがある。

 

そして、片手で紙を抑え、片手で折る、そういった両手の違った動き、また、たとえ私のイタリア語が、こうやって、こうやって...と詳細を伝えていないとしても、ちゃんと見ている子は、目で見たことを脳に伝え、真似することができるのだが、どうもやる前に「T子〜」と私を呼ぶこの多さよ...あゝ。

 

やっとできたところで、40分経過。短冊は無理か?と思ったが、リーダー達の方がやりたいというので、そしてそこに自分の願いや祈りを書きましょう、というと、数人が漢字で書きたいので、アモーレ(愛)はどうやって書くの?パーチェ(平和)は?と聞いてきた。私が紙に書いたものを真似する子もいれば、書いて!という子もいたり、母国語で書く子もいた。さすがに糸を通しておく時間がなくなった。10本準備していったのに、足りなかったので、リーダーに途中説明し足りない分を切ってもらったが、それでも5本足りず...あゝ。

 

記念撮影。

 

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ぴったり1時間。子供達は次のプログラムで外に出かけて行った。
 
それから使ったテーブルと椅子のアルコール消毒、そして糸を通す作業をしている間に、シスターがやってきてどうだった?と聞かれた。毎回そうだから仕方ないのだけれど、どうしてもついていけなくなってくる子のフォローができない。受け持つ人数が多すぎるというのもあるが、それであればアシスタントであるリーダー達がもう少し率先してくれればいいのだが、そこはイタリア。やたら手がかかる...
 
あと、もう一回できない?と聞かれたが、さすがに半ドンはもうないし、物理的に無理。断ったが、来週はRaiの取材が来るらしい。

移民が多く、様々な問題を抱えた子供達を受け入れるのは毎回厳しさを感じる。しかし、シスター曰く、生活レベルや知的、文化的レベルの高い子女達だけを受け入れるのは容易なことだが、移民を共に受け入れ、多文化としての共生はまだまだだ。それは教会内でも目に見えてわかること。私たちの教会は多文化だから面白いのよ、シスターの言葉は印象的だった。
 
多文化共生の理想を掲げるのも、文句をいうのも簡単だ。しかし、忍耐と愛情をもって触れ合うこと、それがいかに難しいか毎回考えさせられる。

オラトリオを離れていたが、もっと寛大にならなきゃいけないなあと反省。