本日「枝の主日」を迎え、聖週間に入った。
本来ならこの週のために聖歌隊は、四旬節の間、練習を重ねている。金曜日の午後3時からの「十字架の道行き」、夜の祈り、行列、何かと教会行事の多いが、「十字架の道行き」はすでに仕事で行けず。また、地元パロッキア(小教区教会)の3人の司祭たちが、同じ司祭館に住む在世会のシスターがコロナに感染となり、一緒に食事をしていたと言うことで、なんと自粛生活に入ってしまった!(今日は全員出ていた!)
それにしても、ロックダウンでは、学校は休み、レストランなども規制はあるものの、スーパーは普通通りだし、天気が良くなって来ているので公園にも散歩や自転車に乗っている人でいっぱい。緊張感が伺えない。であれば、学校に行けない子供達が可哀想だ。
それなのに、ATM(ミラノ交通)は今月2度もショペロ(ストライキ)を行った。一度は夕方は普通に走っていたが2度目は気づいたら地下鉄は閉まっており、トラムは全て操車場行き。バスが来れば乗ろうと思ったが、結局は抜かされることもなく、歩いて帰宅。まだ歩ける距離で良かったが、それでも一時間以上1万歩歩いて帰り、なんでこの時期にショペロ?
今日の「枝の主日」のための聖歌隊の練習が昨晩あったがいい加減疲れて休んでしまった。
とはいえ今日のミサは枝を持った行列もなし。枝を見かけなかったので、枝さえ貰えないのか?と思ったら綺麗に袋に入ったオリーブの枝をミサの後に頂けた。
ところで、「枝の主日」は「受難の主日」とも呼ばれ、ろばの子に乗りエルサレム入りしたイエスを、人々が服や枝を道に敷き、歓呼して迎えたことにちなみ、ミサの前に、参加者らは枝を掲げて宗教行列を行うのが習わしとなっている。
パパ様はお説教で、このコロナ禍で2度目の聖週間を迎えたことに触れられ、私たちは何をしたらよいか?と問われた。自分に与えられた苦しみ、闇や迷いのすべてを受け入れ、心の中に信仰の火をしっかりと灯し続け、受難の道を歩み通した聖母に倣い、イエスに従うことは可能であり、苦しんでいる人を避けて通るのではなく、寄り添うこと。それが大きな恵みとなるとおっしゃられた。
よい聖週間を歩めますように。

