ミラノカトリック日本人会の黙想会がズームで行われた。
テーマは「放蕩息子の帰還」だ。先日、船橋ガリラヤ講座でもテーマになったが、指導は同じミラノ外国宣教会の司祭によるもの。
ちなみに、ミラノ外国宣教会は日本では「ミラノ会」と呼ばれているが、ミラノでは“PIME”(ピメ)と称されている。
ところでこの会はいきなりこの曲で始まった。
2005年日本で公開されたフランスのミュージカル「十戒」の主題曲の日本語カバー「Blessing祝福」。
同ミュージカルは旧約聖書を題材に、モーセの一生を描く。音楽だけで構成した純粋な音楽劇で、欧州全土で200万人を動員したそうだ。
Blessing祝福 (作詞:FLORENCE LIONEL JACQUES/作曲:OBISPO PASCAL MICHEL)
孤独なときほど 誰かを感じて
生きてゆく強さを 支える誰かを
生きてゆく強さを 支える誰かを
変わってゆくもの 変わらないこと
信じる気持ちに 素直でいたい
信じる気持ちに 素直でいたい
あなたを愛して 自分のように
奪うことも奪われることも 愛とは言わない
奪うことも奪われることも 愛とは言わない
渇いた大地に こぼれた水が
潤う間もなく また渇くように
潤う間もなく また渇くように
愛は求めるものではなくて
心の中に 涸れることのない泉のように
心の中に 涸れることのない泉のように
傷つくたびに 流した涙で
自分を知り あなたを知って 愛を知るの
自分を知り あなたを知って 愛を知るの
あなたはつぶやいたわ 私を胸に
悲しい愛など この世界にないのだと
悲しい愛など この世界にないのだと
この手この手に 奇跡はある
痛みを勇気に変えたときに 約束されてる
痛みを勇気に変えたときに 約束されてる
両手を捧げて 見上げる空は
あなたが思うよりも はるかに青く拡がる
(2x)
We can fly with the wings of love
あなたが思うよりも はるかに青く拡がる
(2x)
We can fly with the wings of love
一言も「神」という言葉は使われてはいないが、神に向かって歌っているもの。「愛」は人間と神の間の愛だ。
ところで、今回のテーマ「放蕩息子の帰還」でもレンブラントの絵が紹介されたが、彼自身、放蕩息子のような生活をしており、亡くなる数年前に回心し、最後の作品になったという。
黙想会では紹介されなかったが、こちらは、レンブラントが29歳の時に描いた、『居酒屋の放蕩息子』。はじめの妻・サスキアとの自画像といわれる (1635年)
上記の「放蕩息子の帰還」はレンブラントが63歳の時の作品だそうだが、放蕩息子のように浪費グセがあり、また妻が亡くなってからも家政婦と愛人の間で争いになり婚約不履行で告訴されたり、と凄まじい人生を過ごしてきていたが、当時生存していた息子が急死しており、放蕩の末父の元へ帰還した息子と父との親子の繋がりや兄の姿を自分に重ねて捉えていたのではないだろうか?
赤い服をきた父が放蕩息子の肩を抱くのは祝福を意味する。その右側に赤い服を着た兄。その間に二人人がいるが、僕であり、何かを語りかけているのだろうが、兄のすぐ左側にいるのは、またレンブラント自身とも言えるのではないかという説明があった。
確かに、数あるレンブラントの自画像の中に、似た絵もあった。
レンブラントの光と影の画法は、人間の内面を描いていると感じる。また、信仰がありつつも、肉欲に溺れ、波乱万丈であったレンブラントの生涯に初めて、憐れみを感じ、この「放蕩息子の帰還」の見方も変わった気がする。
そういえば、ゴッホも晩年に「善きサマリア人」を描いたとガリラヤのアンドレア神父が講座で話していた。

芸術家も一生悩み苦しんだ人たちが多い。ゴッホもその一人であろう。筆跡の力と苦しみが感じられる。
>傷つくたびに 流した涙で
自分を知り あなたを知って 愛を知るの
「その永遠のいのちとは、彼らが唯一まことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス.キリストを知ることです。」(ヨハネ17:3)
自分を知り神を知る。これ然り。

